日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

もはや注釈がメイン!?注釈が多い小説まとめ

小説や評論などで、補足のために注釈が付けられていることはよくあることだ。

しかし、本文よりも注釈がメインになっている小説があるといえば驚くだろうか?

ポストモダン*1小説と言われる小説には、既存の発想にとらわれない様な小説が数多くある。

その中には注釈が本文よりも多くなってしまい、もはや注釈の方がメインじゃないかと思う様な小説が幾つかある。注釈を使って新しい文学表現を切り開いた小説たちだ。

この記事では、注釈が多すぎる一風変わった小説を紹介したい。

 

*1:「ポストモダン」とは「近代(モダン)以後」を意味する。

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濃密に漂う死の匂い / 「ニューヨーク炭鉱の悲劇」 村上 春樹

村上春樹の「ニューヨーク炭鉱の悲劇」は、濃密な死の匂いが立ち込める小説だ。

話の意味するところや、構成の意図するところが分からなくても、作中に漂う「死の匂い」を感じ取った人は多いんじゃないかなと思う。この小説では、主人公の周りで多くの人が死んでいく。まるで、死神によって死の世界へと引き込まれるかのように。

自分自身の経験から言っても、友人や恩師が次々に死んでいってしまう時期があった。そういの時は自分の身の回りに死がぽっかりと口を開けて待っているかのように感じたことを覚えている。小説に話を戻そう。

小説全体としては解釈するのが難しい部類の村上春樹作品だと感じる。特に、炭鉱に閉じ込められた人々の描写が唐突に挿入されるのは、どういう意味?と困惑した人は多いんじゃないかな。

この小説の内容を大きく分けると3パートになる。

①身の回りで人が死んでいく「僕」と友人の話

②「僕」に似た男を殺した女と「僕」の話

③ 炭鉱の悲劇

3つのパートがどのように関連しているのか、何を意味しているのかをこの記事では考察・解説していこうと思う。

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夏目漱石『こころ』の遺書が長すぎる件について

 

夏目漱石こころ』といえば、男女の三角関係を描いた不朽の名作だ。

友情をとるか、恋愛をとるか」という普遍的なテーマを扱った『こころ』は、同じようなことを経験したことがある人なら深く心に刺さるだろう。

高校国語の定番小説なので、大抵の人は読んだことがあるはずだ。

さて、高校の授業などで『こころ』を読んだときに奇妙なことに気付かなかっただろうか?

 

「先生の遺書、長すぎない?」

 

『こころ』という小説の中心は、先生の遺書にあると考えられてきた。

なので、高校国語の教科書でも先生の遺書の一部が抜粋されているのが普通だろう。それにしても遺書部分が長すぎる。

作中には、遺書が四つ折りになって封筒に入っていたと書いてあるが、どう考えても無理がある分量だろう。

これはおそらく夏目漱石のミスだ。

この記事では、あまりにも長すぎる先生の遺書の詳細と、なぜこのようなミスが生まれたのかを解説したい。

 

 

先生の遺書が長すぎる

『こころ』の作中で最初に遺書が登場するのは、兄から先生の遺書を手渡される場面だ。

先生の遺書について、語り手の「私」はこんな風に書いている。

 

私は繊維の強い包み紙を引き掻くように裂き破った。中から出たものは、に引いた罫の中へ行儀よく書いた原稿様のものであった。そうして封じる便宜のために、四つ折に畳まれてあった。私は癖のついた西洋紙を、逆に折り返して読み易いように平たくした。

 

引用部分では、先生の遺書が四つ折に畳まれてあったと書いてある。

先生の遺書の分量だがざっくり計算すると、四百字詰め原稿用紙が三百枚近くもある。

三百枚近い原稿用紙を四つ折りにすることは可能なのだろうか?どう考えてもできるはずがない。

では、なぜこんなことが起きてしまったのだろうか?

その謎を解く鍵は『こころ』という小説の中にはない。実はこれは夏目漱石のミスであり、『こころ』の成立過程に関係がある問題なのだ。

 

 

なぜ先生の遺書が長くなってしまったのか?

『こころ』という小説だが、元々は「朝日新聞」に連載された小説だった。

遺書が長くなってしまった理由は『こころ』の制作過程にある。夏目漱石『こころ』の次に小説の連載を依頼していた志賀直哉が連載を断ってきたのだ。その為、志賀直哉の代わりが見つかるまで夏目漱石が新聞連載を長く引き伸ばさなければならなくなったのだ。その結果、先生の遺書の部分が長くなってしまった。

では、単行本にする時に四つ折りという記述を削除すれば良かったのだけれど、夏目漱石は手直しをしなかった。その結果、小説内に矛盾が残る結果となってしまったのだ。

なので、結論として先生の遺書が長くなってしまった理由は作者・夏目漱石のミスということになる。

 

 

高校の授業で『こころ』を読んでいる学生は、先生に遺書の矛盾を指摘してみるのはどうだろうか。もしかしたら、先生から「勘のいいガキは嫌いだ」と言われるかもしれない。

 

また、『こころ』の遺書が長すぎる件については石原千秋の著作の中で詳しく説明されている。おすすめの本だ。

 

現代の戦争!戦後生まれの作家が描いた戦争小説まとめ

戦争の形は時代とともに移り変わる。

こんな時代だからこそ、現代作家が描いた戦争小説を紹介したい。

 

 

 

『となり町戦争』 / 三崎 亜記

現代的戦争の恐怖。ある日、突然に始まった隣接する町同士の戦争。公共事業として戦争が遂行され、見えない死者は増え続ける。現代の戦争の狂気を描く傑作。

となり町戦争』は小説すばる新人賞を受賞した三崎亜記のデビュー作だ。となり町同士が公共事業として戦争を行うという斬新な設定から話題を集めた新時代の戦争小説だ。戦争といっても血なまぐさいものではなく、隣町と隣町という小さいスケールで戦っている話だ。

この戦争は、不思議なことに町の公共事業として扱われていて、実際の戦闘に巻き込まれるということもほとんどない。目に見えない戦争だ。主人公はひょんなことから偵察業務を町から依頼され戦争に深く関わっていくのだが、実際の戦闘に遭遇することがなく現実感を抱けないでいる。

日本に住む私たちも、『となり町戦争』の主人公のように他国での戦争やテロを自分とは関係ない非現実的な出来事として捉えていないだろうか?そんな問いを突きつける小説だ。

 

 

『小隊』 / 砂川 文次

 元自衛官の新鋭作家が、日本人のいまだ知らない「戦場」のリアルを描き切った衝撃作。 北海道にロシア軍が上陸、日本は第二次大戦後初の「地上戦」を経験することになった。自衛隊の3尉・安達は、自らの小隊を率い、静かに忍び寄ってくるロシア軍と対峙する。そして、ついに戦端が開かれた――。

芥川賞候補作にもなった「小隊」は組織の不条理を描いた戦争小説だ。「小隊」は、北海道にロシア軍が上陸し、日本の自衛隊と衝突するという架空の戦争を描いている。まるでロシアのウクライナ侵攻を予見していたような小説だ。まさに今の時代に読むべき小説だ。

まず著者が自衛隊出身ということもあってか、小説のリアリティに圧倒される。専門用語が頻繁し、読んでいる自分も自衛隊として戦場にいるかのような錯覚を抱く。映画で例えたらクリストファー・ノーラン監督の『ダンケルク』のようだ。軍隊の専門用語で現実を「異化」させる手法は圧巻だ。

軍事的なことは僕自身よく分からないのだけれど、「小隊」で描かれているロシアの攻め方はかなりリアリティがあるらしい。戦争が始まるぞ!みたいな開戦ではなく、静かに開戦していく様は妙にリアルである。

主人公の安達は戦争を経験したことがなく、開戦した当初は戸惑っているが、組織での役割に突き動かされ滞りなく戦争を遂行していく。官僚的な組織の弊害と、個人の意思ではなく、組織での役割や組織の論理で戦争を遂行していくさまはカフカ的だなと感じる。この時代に是非読んでほしい小説だ。砂川文次入門としても是非読んで欲しい。

 

 

『わたしたちに許された特別な時間の終わり』 / 岡田 利規

ブッシュがイラクに宣告した「タイムアウト」が迫る頃、偶然知り合った男女が、渋谷のラブホテルであてどない時を過ごす「三月の5日間」。疲れ切ったフリーター夫婦に忍び寄る崩壊の予兆と無力感を、横たわる妻の饒舌な内面を通して描く「わたしの場所の複数」。人気劇団チェルフィッチュを率いる演劇界の新鋭が放つ、真に新しい初めての小説。第2回大江健三郎賞受賞作。

岡田利規は『三月の5日間』で知られる劇作家だ。『三月の5日間』は、アメリカ軍がイラク空爆を開始した3月21日を間に挟んだ5日間の若者たちの行動を語る戯曲。この『三月の5日間』は小説化されており、『わたしの場所の複数』という小説とともに『わたしたちに許された特別な時間の終わり』という小説集に収録されている。この小説集は人称と視点の表現に一石を投じた傑作だ。移人称小説の先駆けとなる小説である。ぜひ読んでみてほしい。

 

 

『ヨハネスブルグの天使たち』 / 宮内 悠介

 

 

 

『指の骨』 / 高橋 弘希

太平洋戦争中、南方戦線で負傷した一等兵の私は、激戦の島に建つ臨時第三野戦病院に収容された。最前線に開いた空白のような日々。私は、現地民から不足する食料の調達を試み、病死した戦友眞田の指の骨を形見に預かる。そのうち攻勢に転じた敵軍は軍事拠点を次々奪還し、私も病院からの退避を余儀なくされる。「野火」から六十余年、忘れられた戦場の狂気と哀しみを再び呼びさます衝撃作。

 

 

『その日東京駅五時二十五分発』 / 西川 美和

 

 

『同志少女よ、敵を撃て』 / 逢坂 冬馬

独ソ戦が激化する1942年、モスクワ近郊の農村に暮らす少女セラフィマの日常は、突如として奪われた。急襲したドイツ軍によって、母親のエカチェリーナほか村人たちが惨殺されたのだ。自らも射殺される寸前、セラフィマは赤軍の女性兵士イリーナに救われる。「戦いたいか、死にたいか」――そう問われた彼女は、イリーナが教官を務める訓練学校で一流の狙撃兵になることを決意する。母を撃ったドイツ人狙撃手と、母の遺体を焼き払ったイリーナに復讐するために。同じ境遇で家族を喪い、戦うことを選んだ女性狙撃兵たちとともに訓練を重ねたセラフィマは、やがて独ソ戦の決定的な転換点となるスターリングラードの前線へと向かう。おびただしい死の果てに、彼女が目にした“真の敵"とは?

 

 

『ベルリンは晴れているか』 / 深緑 野分

1945年7月、ナチス・ドイツの敗戦で米ソ英仏の4カ国統治下におかれたベルリン。ドイツ人少女アウグステの恩人にあたる男が米国製の歯磨き粉に含まれた毒による不審死を遂げる。米国の兵員食堂で働くアウグステは疑いの目を向けられつつ、なぜか陽気な泥棒を道連れに彼の甥に訃報を伝えに旅出つ――。

 

 

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ホラーすぎる!?人間の怖さを描いた芥川賞受賞作品まとめ

純文学の新人賞として知られている芥川賞。

受賞作品は、恋愛や青春、親子関係など様々なテーマを描いている。

人間の内面を深く描いた作品の中にはホラーにも匹敵するくらい怖いものもある。

芥川賞受賞作品の中から、ホラーすぎる人間の怖さを描いた小説を紹介したい。

 

 

『爪と目』 / 藤野 可織 (第149回芥川賞)

あるとき、母が死んだ。そして父は、あなたに再婚を申し出た。あなたはコンタクトレンズで目に傷をつくり訪れた眼科で父と出会ったのだ。わたしはあなたの目をこじあけて――三歳児の「わたし」が、父、喪った母、父の再婚相手をとりまく不穏な関係を語る。母はなぜ死に、継母はどういった運命を辿るのか……。独自の視点へのアプローチで、読み手を戦慄させる恐怖作(ホラー)。

ここ最近芥川賞を受賞した中でホラーテイストが強いのは藤野可織の『爪と目』だろう。

三歳児の「わたし」が、父、喪った母、父の再婚相手をとりまく不穏な関係を語る。三歳児が感じる不穏な雰囲気を読者が二人称で追体験するというある種のホラー作品だ。

『爪と目』の特徴は、「二人称」という実験的な人称を用いている点にある。小説の人称というと、一人称と三人称だけではない。かなり実験的な試みではあるが、二人称を用いている小説は世界中にいくつかある。とにかく、読んでもらった方が難解さを感じてもらえるので、冒頭の文章を下に引用してみる。

はじめてあなたと関係を持った日、帰り際になって父は「きみとは結婚できない」と言った。あなたは驚いて「はあ」と返した。

どうだろうか。「あなた?きみ?どういうこと」と頭にハテナが10個ほど浮かんでいるのではないだろうか。このような感じで、不穏さを感じさせる文章が続くのである。登場人物と「あなた」の関係性がどうなっているのか、語り手は誰なのかというモヤモヤを抱えながら読むことになるのだ。しばらく読み進めると、語りの仕掛けが明かされるのだが、それまでは宙吊り感を味わうことになる。

ちなみにこの小説を友人に勧めたら、この冒頭を読んですぐに読むことを諦めていた。

 

 

『むらさきスカートの女』 / 今村 夏子 (第161回芥川賞)

「むらさきのスカートの女」と呼ばれる女性が気になって仕方のない〈わたし〉は、彼女と「ともだち」になるために、自分と同じ職場で彼女が働きだすよう誘導し……。ベストセラーとなった芥川賞受賞作。

全編に渡って不気味な雰囲気が漂っているのが今村夏子の『むらさきスカートの女』だ。

今村夏子のだいたいの作品には不穏な雰囲気が流れているのだが、この作品でも主人公の不気味さが際立っている。

主人公の「わたし」は「むらさきのスカートの女」と呼ばれる女性が気になって仕方がない。

友達になるために「わたし」はストーカー的な行為を繰り返す。主人公はどう見ても変わっているのに、本人は普通だと思っているところが不気味。

 

 

『おいしいごはんが食べられますように』 / 高瀬 隼子 (第167回芥川賞)

「二谷さん、わたしと一緒に、芦川さんにいじわるしませんか」心をざわつかせる、仕事+食べもの+恋愛小説。職場でそこそこうまくやっている二谷と、皆が守りたくなる存在で料理上手な芦川と、仕事ができてがんばり屋の押尾。ままならない微妙な人間関係を「食べること」を通して描く傑作。

高瀬隼子の「おいしいごはんが食べれますように」は、食べることへの違和感を描いた作品だ。

この小説の面白いところは、主人公の二谷が「おいしいごはんが食べれますように」とは1ミリも思っていないところだ。描かれているのは、食事への違和感だ。二谷は、「美味しい食事を食べるのが一番」、「人と一緒に食べる食事は美味しい」といった世間的な共通認識に中指を立て、世間の同調圧力に異義を唱えている。

この小説では二谷と、職場の・芦川、押尾という二人の女性との奇妙な三角関係が描かれている。芦川はよく体調を崩し、その仕事をフォローするのは二谷と押尾だった。けれども、気遣いされるのは芦川ばかりで、押尾はやるせない思いを抱えていた。一方、二谷は芦川と付き合っていたのだが、どうしても相容れない点があった。それは食へのこだわりだ。芦川は美味しい料理が好きで自分でも料理をよく作り振る舞っていた。それに対して二谷は食事をエネルギー補給ぐらいにしか思っておらず、コンビニ飯やカップ麺があるのだからわざわざご飯を作らなくてもいいんじゃないかと思っている。

この小説で不気味なのは、各登場人物に不気味な内面があることだ。押尾、二谷、芦川の三人ともに理解しがたい行動を見せる。外見からは分からない内面の不気味さを描いた点でホラーだなと思う。

 

 

『土の中の子供』 / 中村 文則 (第133回芥川賞)

27歳のタクシードライバーをいまも脅かすのは、親に捨てられ、孤児として日常的に虐待された日々の記憶。理不尽に引きこまれる被虐体験に、生との健全な距離を見失った「私」は、自身の半生を呪い持てあましながらも、暴力に乱された精神の暗部にかすかな生の核心をさぐる。人間の業と希望を正面から追求し、賞賛を集めた新世代の芥川賞受賞作。

中村文則の『土の中の子供』は、壮絶な虐待が人生にもたらした影を描いた作品だ。

人間の精神の暗い部分や業を見事に描いている。

 

 

『夜と霧の隅で』 / 北 杜夫 (第43回芥川賞)

第二次大戦末期、ナチスは不治の精神病者に安死術を施すことを決定した。その指令に抵抗して、不治の宣告から患者を救おうと、あらゆる治療を試み、ついに絶望的な脳手術まで行う精神科医たちの苦悩苦闘を描き、極限状況における人間の不安、矛盾を追究した芥川賞受賞の表題作。

北杜夫の『夜と霧の隅で』は、第二次世界大戦時のドイツでナチスに翻弄される医者たちを描いた小説だ。

この小説で怖いのは、ナチスドイツの蛮行だ。

精神を病んだ人々を、無茶な手術等で治そうと奮闘する医師の姿には鬼気迫るものがある。おそらくタイトルの元ネタと思われるフランクルの「夜と霧」を彷彿とさせる。

 

 

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夏目漱石『こころ』を読むならちくま文庫版を推したい件について

 

夏目漱石の『こころ』といえば、男女の三角関係を描いた不朽の名作だろう。

高校の国語で勉強するので、大抵の人は読んだことがあるはずだ。

「友情をとるか、恋愛をとるか」という普遍的なテーマを扱った『こころ』は、同じようなことを経験したことがある人なら深く心に刺さるだろう。

 

夏目漱石の『こころ』だが、色々な出版社から文庫本が発売されている。

例を挙げてみると、新潮文庫、角川文庫、岩波文庫、文春文庫、集英社文庫、ちくま文庫と6つの出版社から文庫本が販売されている。

 

「内容は『こころ』なんだからどれも同じじゃないのか」と思うかもしれないが違うのだ。

表紙・解説の内容が違っていて選ぶ余地があるのだ。

 

僕としては新潮文庫とちくま文庫の二冊を持っている。

夏目漱石は主に新潮文庫で集めているので、統一性のために新潮文庫で買ったのだ。

 

ただ、解説の内容でいくとダントツでちくま文庫版を推したい。

 

じゃあ、ちくま文庫版『こころ』の何がいいのかというと、解説として小森陽一の論文「こころ」を生成する「心臓(ハート)」が収録されているからだ。

 

小森陽一の「こころ」を生成する「心臓(ハート)」というのは、『こころ』の解釈に一石を投じた記念的な論文だ。

実際にこの論文と石原千秋の論文・「こゝろ」のオイディプス : 反転する語りが元で「こころ論争」という「こころ」の解釈をめぐる大きな議論が巻き起こった。

 

では「こころ」を生成する「心臓(ハート)」という論文にはどんなことが書いてあるのだろうか?

端的にいうと、「私」は先生の死後お嬢さんと共に生きているという論が提示されている。

作者と作品を切り離し文章に基づいて解釈を行う「テクスト論」に基づいた方法で『こころ』を読み解いたのだ。「テクスト論」で有名なのが小森陽一と石原千秋だった。

 

この小森陽一と石原千秋が提唱した読解は大きな反響を呼び、日本近代文学研究に一石を投じた。

 

このような『こころ』の新しい読み方を提示した論文が一緒に掲載されている点で、ちくま文庫版がおすすめなのだ。

 

ぜひ、ちくま文庫版を読んで欲しい。

 

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心を揺さぶる!感傷的でエモい恋愛小説をまとめてみた

エモい」という言葉は、英語の「emotional(エモーショナル)」が由来の若者言葉だ。

ニュアンスとしては、「感情が揺り動かされる」・「切ない」といった感じだろうか。昔でいうところの「をかし」かもしれない。いや違うか。

この「エモい」というフレーズは小説や音楽、映画などを形容する時に使われたりする。「この音楽めっちゃエモい」みたいな。

小説で言ったら、エモいと形容されるのが多いのは恋愛小説だろうか。

この記事では、感傷的で「エモい」恋愛小説を紹介していく。

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