日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

「Céline」から「CELINE」へ  エディによる新しいセリーヌの始まり

エディによる新生「セリーヌ

www.youtube.com今回の2019年春夏のパリコレクションで最も注目を集めていたのはエディ率いる新生セリーヌだろう。様々な期待や不安が渦巻く中、パリのオテル・デ・アンバリッドでセリーヌのショーが発表された。この会場は、エディがSAINT LAURENTの14-15年秋冬メンズ・コレクションを発表した場所でもある。大方の予想通り、ショーで示されたのは、前任のフィービー・ファイロの築き上げてきた「Céline」ではなく、エディ色が強い「CELINE」だった。やっぱり、エディはエディだった。ゆったりとした服がトレンドの中でも、スリムなパンツ(サンローランの時よりはゆったりしているような気がする)、ナロータイ、細身のテーラードジャケットなど、エディの十八番デザインが全開のショーになっていた。ここまで自分のスタイルを貫けるのは単純にすごいと思う。けれどもこれはセリーヌなのだろうか?最初に観たときにはエディ期のサンローランと見間違ってしまった。まちがって昔のコレクションのやつを見てしまったのかな、と。しかし、見たルックは昔のサンローランではなく、確かに2019ssのセリーヌだった。昔のフィービー・ファイロのセリーヌが好きな人は、離れていくだろうな。僕はファッション業界の人ではないから踏み込んだことは言えないけれど、ファッションが好きな一般人として今回のセリーヌの感想について書こうと思う。

  

 

「Céline」から「CELINE」へ

front-row.jpエディがセリーヌのクリエイティブ・ディレクターに就任するというニュースを聞いたとき、僕は単純に嬉しかった。僕はエディのデザインが好きだったからだ。サンローランの時は買えなかったから、今回こそは絶対に買うぞと。エディのセリーヌを凄く楽しみにしていたけれど、気になる点が一つあった。それは、エディのセリーヌをイメージすることは難しかった点だ。今までのセリーヌに対する個人的な印象は「優雅なマダムのイメージ」だったから、エディのスタイルとセリーヌがあうのか分からなかった。まあ、いつものエディのスタイルを貫くんだろうなと思っていたけれども、心の片隅では今までのセリーヌのエッセンスも組み合わせていくのかなとも思っていた。しかし、予想以上にエディはエディだった。ショーで発表されたのは、タイトなジャケットや、スキニー寄りのパンツ、ナロータイといったいつものエディスタイルだった。このセリーヌの変化を自分的に例えると、サザエさんのフネの声だけが、エヴァのカヲル君の声に変わっていたみたいな感じだ。カヲル君の声も良いけれど、フネさんにはあわないということだ。あんまり、伝わりませんかね。

 つまらない比喩はさておいて、この変化には伏線があったように思う。まず一つはロゴの変化だ。エディはセリーヌのロゴを、1930年代から使われていた文字デザインにした。フランス語のアクセント符号がついた「é」が普通の「e」に変わり、文字も大文字になり、アクセントもフランス語訛りのないシンプルな「セリーヌ」になるらしい。さらには、公式SNSでは過去の投稿をすべて削除し、アカウントも一新させた。すごい徹底ぶりだ。

 セリーヌ難民になることを恐れてか、セリーヌの駆け込み需要があったようだ。

www.wwdjapan.com

セリーヌ」直営店を構える百貨店各社に1~6月の販売状況を聞いたところ、「売り上げは前年を大幅に上回った」という声が大勢だった。同時に、顧客からは「今後はどこで服を買えばいいの?」といった戸惑いの声も聞こえてくる。

やっぱり、前の顧客は離れていきそうだ。マルジェラのデザイナーがジョン・ガリアーノになったときを思い出す。

  僕自身はエディのファンだからセリーヌは買うと思う。けれども、今までのセリーヌの要素も組み入れ、表現の幅を広げたエディも見てみたかった気がする。エディは自分のブランドを持ってもいいのに。

 

 

 

世間の反響はどうなのか?

個人的な意見はここまでにして、色々な媒体から出ているセリーヌについてのコメントについてまとめてみようと思う。やっぱり、賛否両論が激しいようだ。

 

WWDJAPAN

www.wwdjapan.comこの記事は大方の人の思っていることを代弁しているんじゃないだろうか。

フィービー・ファイロ(Phoebe Philo)による「セリーヌ」をそのままに、とは言わない。が、多くのフランス人が持つ「セリーヌ」のイメージは、パリ16区やアベニュー・フォッシュ近辺に暮らし、百貨店ル・ボンマルシェで買い物をするような洗練された上流階級の女性のイメージだ。エディの「セリーヌ」はクチュールワークという意味ではラグジュアリーだが、優雅なマダムのイメージからは遠い。

 のところなんかは頷きながら読んでいた。このコレクションを見たときの心のモヤモヤを上手く言語化してくれている記事だ。未読の人は是非みてほしい。

 

 

 The NewYork Times

www.nytimes.com

こちらは批判的な感じだ。

 

 

GQ JAPAN

gqjapan.jpこちらにはエディ・セリーヌに好意的なコメントが寄せられている。結局のところ、今回のセリーヌを好意的に捉えるか否かは、エディが好きか否かによると思う。以前の「Céline」が好きな人は、「CELINE」から離れていってしまうんじゃないかな。

 

 

www.youtube.comYouTubeにはこんな動画が上がっていた。英語が良く分からないので内容がいまいちわからないのが辛い。賛否両論があるけれども、やっぱり、今回のセリーヌへの関心は高かったんだな。

 

 

僕自身はこのコレクションは好きだ

僕自身は昔のセリーヌに思い入れがない。むしろ、エディのファンだ。高校生ぐらいからエディの存在を知り、いつかはエディスタイルの服を着てみたいと思っていた。エディがサンローランにいた時は、大学生ぐらいのときで、さすがに手が届かなかった。でも今回のセリーヌなら、社会人の給料で買えるから、買うと思う。しかし、昔のセリーヌのファンなら買わないよなと思う。昔の「Céline」が好きな人はこれからどこのブランドを買うのだろう?ジル・サンダーとか?確実に言えることは、もう昔の「Céline」は存在しない。あるのはアクセントがなくなって大文字になった「CELINE」だ。新しい「CELINE」はサンローランの時のように新しい顧客を開拓できると思うし、僕は新しいセリーヌに期待している。ただ、今までの「Céline」が好きな人は寂しいだろうなと思う。常連のレストランがなくなってしまうような。

 ブランドの方向性にデザイナーが合わせるべきなのか、ブランドの方がデザイナーに合わせるべきなのか?今回のセリーヌのショーは、ブランドの歴史とデザイナーの関係性ついて考えさせられるコレクションだった。エディ率いる新生「CELINE」は次のコレクションではどんな服を発表するのだろう?

 

www.celine.com