日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

知性を守るための戦い / 『赤頭巾ちゃん気をつけて』 庄司 薫

優しさ世代のためのバイブル

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学生運動の煽りを受け、東大入試が中止になるという災難に見舞われた日比谷高校三年の薫くん。そのうえ愛犬が死に、幼馴染の由美と絶交し、踏んだり蹴ったりの一日がスタートするが―。真の知性とは何か。戦後民主主義はどこまで到達できるのか。青年の眼で、現代日本に通底する価値観の揺らぎを直視し、今なお斬新な文体による青春小説の最高傑作。

  日本文学には、『三四郎』から続く青春文学の系譜があると思う。当時の時代背景を反映し、「知識人はこの時代をどう生きるべきか」という問いに悩む主人公が描かれた小説だ。この一連の青春小説の主人公たちは、総じて気が弱くてナイーブで、恋に奥手だ。まあ、本が好きな人の多くはこんな感じだから、主人公に自分を重ねてしまうのだろう。

 この「どう生きるべきか」系の青春文学の流れは『三四郎』から始まり『されどわれらが日々ーー』、『僕って何』、『赤頭巾ちゃん気をつけて』、『優しいサヨクの喜遊曲』、そして『なんとなく、クリスタル』で終わると、僕は考えている。『三四郎』では文明開化、『されど我らが日々はーー』は六全協と学生運動、『赤頭巾ちゃん気をつけて』は学生運動と大衆社会の始まり、『僕って何』は学生運動に置けるセクト争い、『優しいサヨクのための喜遊曲』は学生運動の衰退を描いている。そして、『なんとなく、クリスタル』ではバブル経済直前の大衆社会が描かれていて、主人公は「いかに生きるべきか」で悩むことがなく、「クリスタルな日々」を送っている。知識人の苦悩から、知識人の危機、大衆消費社会の勃興へと時代が移り変わっていく。それぞれの時代を反映してきた作品は、芥川賞を受賞したり、ベストセラーになったりと、各時代で話題になってきた。

 『赤頭巾ちゃん気をつけて』は、庄司薫の作品で、第61回芥川賞を受賞しベストセラーにもなっている。東大入試が中止になるという災難に見舞われた薫くんのツイてない一日が綴られた小説だ。『ライ麦畑でつかまえて』を彷彿とさせるような、口語体の斬新な文体が用いられていることでも話題になった。主人公の薫くんの視点から描かれているのは、知性の危機と大衆消費社会の興隆、そして「優しさ」が失われてしまうことへの危惧だ。

 

 

薫くんのツイてない一日

『赤頭巾ちゃん気をつけて』は学生運動を背景とした青春小説だ。

主人公は、日比谷高校三年生の庄司薫。薫くんは日比谷高校に学校群制度が導入される前の最後の日比谷高校生である。薫くんは高校三年生なので大学受験を控えていたが、東大紛争のあおりで東大入試がなくなってしまう。この小説は、東大を受けようとしていた薫くんが大学に行かない決心をしたある一日(1969年2月9日)の話だ。その日は薫くんにとってツイてない一日だった。薫くんの愛犬が死に、足の親指の爪を剥がし、幼馴染の由美とは仲たがいしてしまうしと踏んだり蹴ったりの一日だ。美人の女医をモノにできるチャンスに恵まれるのだけれど、薫くんは「優等生」ぶりを発揮してしまってチャンスを逃してしまう。この薫くんの草食系男子ぶりは、据え膳を食わなかった『三四郎』の三四郎を彷彿とさせる。日比谷高校の日常や、小林との会話を通じて描かれるのは、大衆消費社会の隆盛と知識人の危機だ。

 東大入試の中止によって、エリート(知識人)の正統なキャリアパスが崩れてしまう。また、学校群制により、日比谷高校は知識人養成高校ではなくなり、他の高校と均一化してしまう運命にある。これらの出来事に、知識人の危機と大衆の誕生が象徴されているように思う。『知識人の危機の時代において、どう生きるか』、これが『赤頭巾ちゃん気をつけて』のテーマの一つだ。そして、知識人の危機の時代においては、知性も暴力に脅かされている。学生運動は暴力的になり、狂気が蔓延っている。そんな中で薫くんは、大学にいかず、知性を伸ばしていくことを決心する。

 

 

「赤頭巾ちゃん気をつけて」の意味

タイトルの意味が分かるのは、後半の方の薫くんが子どもと交流するところである。薫くんは、子どもの優しさにふれ、「狂気の時代」においても優しさは損なわれていないと勇気づけられる。タイトルの『赤頭巾ちゃん気をつけて』には、これから生きていく読者には優しさを忘れずに生きていて欲しいという願いが込められているように感じた。

 

 

『赤頭巾ちゃん気をつけて』と『ライ麦畑でつかまえて』

 昔ながらの日本文学の文体と村上春樹・吉本ばななの文体の間には大きな隔たりがあるように感じていた。庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』は古めかしい文体と口語的な現代の文体のちょうど過渡期にあったように感じる。『赤頭巾ちゃん気をつけて』と『ライ麦畑でつかまえて』のタイトルからして、サリンジャーの影響を強く受けているんじゃないかなと思う。『赤頭巾ちゃん気をつけて』の軽妙な文体と、ナイーブな僕の一人称は、村上春樹に受け継がれている。

 

 

 

 この『赤頭巾ちゃん気をつけて』は四部作の一つ目だ。赤頭巾の後は、『白鳥の歌なんか聞えない』『さよなら快傑黒頭巾』『ぼくの大好きな青髭』と続いていく。「青竜、朱雀、白虎、玄武」の4色を揃えたタイトルになっている。その後の薫くんが気になる人は是非。