日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

学生運動で揺らぐ「僕」のアイデンティティ /『僕って何』 三田 誠広

学生運動で揺らぐ「僕」のアイデンティティ

田舎から上京し、学園紛争真っ只中の大学に入学した僕。何も知らない母親っ子の僕が、いつの間にかセクトの争いや内ゲバに巻き込まれ、年上のレイ子と暮らすことになる……。芥川賞受賞の永遠の青春小説。

  「私」の存在って何だろう?と学生時代に自問自答したことがある人は多いはずだ。社会人になってからも問い続けている人もいるかもしれない。自分とは何なのか?自分が自分であるための条件は何か、自分を規定するのもは何かにあるものはなにか、答えがない問いを考えていく中で、おぼろげに自分のアイデンティティが分かるようになるのかもしれない。アイデンティティとは別に自分の事だけではないと思う。自分とまわりの人との間にどういう関係性が生まれるかも、アイデンティティを構成する重要な要素だと思う。自分のアイデンティティは一つだけではない、他人や環境が違うと自分のアイデンティティは変わってくる。

そんな他人との関係性の中で揺らいでいく「僕」のアイデンティティについて描いた小説が、『僕って何』だ。「僕」はセクト争いに翻弄される中で、自分のアイデンティティを見失っていく。

 

 

学生運動を描いた青春小説

 この『僕って何』は、『されどわれらが日々』や『赤頭巾ちゃん気をつけて』と同じように学生運動が背景にある青春小説だ。この2作と同様に『僕って何』は芥川賞を受賞している。この『僕って何』は、セクトやオルグ、内ゲバ、全共闘などの言葉が出てきて、学生運動のことをよく知らない今の世代にとっては少し読みずらい。僕は、学生運動のことについてほとんど知らなかったので調べながら読んだ。『僕って何』は学生運動を冷ややかな目で見ている小説で、過熱する学生運動やその空疎さを皮肉交じりに描いている。

 この小説は学生運動そのものが主題というわけではなくて、主人公の「僕」が「B派」というセクトに身を置き、セクト争いに巻き込まれる中で、自らのアイデンティティを模索するというのが大きな筋だ。「僕って何」と主人公は自らに問い続ける。

 

 

 

セクト争いに翻弄される「僕」

 主人公の「僕」は、大学入学のために過保護な母親から逃れて上京する。しかし、華やかな大学生活になじめず、何かのコミュニティに属することもなく日々を送っていた。ある日、ひょんなことから、年上の女学生・戸川レイ子に誘われて、流されるままにB派の活動に参加する。そして、好意を抱いていたレイ子と、なりゆきのままに同棲することになった。僕が上京して、年上の女性に惹かれるという設定は夏目漱石の『三四郎』に近い。実際に、何人かの評論家は「これは『三四郎』の現代版だ」と評している。三四郎のように、「僕」は年上のレイ子に翻弄されるのだ。

 「僕」が学生運動や政治的なことに興味があったかというとそうでもなく、ただコミュニティとしての「B派」に魅力を感じていただけだ。「僕」は政治的な思想を求めていたわけではなく、B派のメンバーで集まって作業することや人間関係を求めていた。そのことは「僕」が海老原に語る言葉の中に現れている

B派とか、C派とか、いろんなセクトの違いはよくわからなかった。今もほんとうはよくわからない。ただ、B派の中に何人か知り合いができて、そういう人たちとのつながりの中で活動しているわけだから、いきなりB派を抜けるわけにもいかない。 p76

 「僕」は部活やサークルの延長線上で、学生運動に参加していた。「僕」にとってセクトとは自らのアイデンティティを保つための装置にしか過ぎないのだ。「僕」はなりゆきのままに学生運動にのめり込んでいくが、B派の暴力事件を目撃したことで、「僕」の心はB派から離れていく。海老原にセクト同士の争いやB派の欺瞞を知らされ、「僕」はB派から抜け全共闘に参加することを決意する。その決意は固いように思えたが、結局はセクト争いに翻弄されただけだった。「僕」が求めていたのは、自分を認めてくれる場所だったのだ。それは「A派」でも良かったし、「B派」「C派」「D派」でも良かったし、なんなら「F町」でも良かった。アルファベットでセクトと故郷が表記されているのは、それが「政治的な教義」に関係なく、「僕」にとってはコミュニティのとしての価値は同じだったことを示しているように思える。

 

 

アイデンティティは一つ?

 最終的に、「僕」はレイ子や母が自分の全部を知っているわけではなくて、それぞれある一面しか見ていないことに気づく。アイデンティティはひとつじゃない、観る人によって自分のアイデンティティは変わる。「僕」が辿りついたラストは切ないがなぜか温かさもある。最近でいうと、平野啓一郎の「分人主義」に近いものがあるかな。未熟な若者が不安に飲みこまれながらも、アイデンティティを模索する姿に共感するのは誰しも通る道だからだろうか?

 

僕って何 (河出文庫)