日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

スピンスピンでセンター国語の伝説となった短編 / 『地球儀』牧野 信一 

 センター国語で話題になった『地球儀』 

センター試験過去問研究 国語 (2020年版センター赤本シリーズ)

センター試験過去問研究 国語 (2020年版センター赤本シリーズ)

 

  牧野信一の『地球儀』という小説をご存じだろうか?

僕はこの牧野信一という作家を知らなかったが、とあることがきっかけで知った。皆さんも作家の名前は知らないだろうが、小説の印象的な台詞を聞けば思い出すだろう。

シイゼエボオイ・エンドゼエガアル」、「スピンアトップ・スピンアトップ・スピンスピンスピン」、多くの犠牲者を生み出した黒魔術の呪文だ。羽生結弦に匹敵するほどの見事なスピンスピンを魅せる小説だが、「スピンスピン」という言葉で、人生そのものがスピンしてしまった受験生は多いだろう(特に理系)。この牧野信一の『地球儀』はセンター試験に出題され、「スピンスピン」という謎の言葉で今もネタにされている、いや愛されている小説だ。

 そんな悪名高い『地球儀』だが、試験を抜きにしてじっくり読んでみると思った以上に名作短編だ。センター国語でこけた人にとっては辛い思い出かもしれないが、是非とも読み返してみてほしい。

簡単に要約すると、『地球儀』は作中作という技法を使い「子が親になる物語」を重層的に描いた小説だ。この小説を読みとくキーワードは「アンビバレント(ambivalent)」。欅坂46の楽曲のタイトルにもなっている「アンビバレント」は、ある対象に対して、相反する感情を持つことを意味する。例えば、ある人に対して「愛情」と「憎悪」を同時に持つとアンビバレントな感情と言える。主人公の私(純一)は父に対して「愛情」と「嫌悪」という相反する(アンビバレントな)感情を抱いている。タイトルにもなっている「地球儀」は私と母が持つ、父に対するアンビバレントな感情の象徴だ。「子が親になる物語」のストーリーラインを持つ小説のお手本と言えるぐらいに構成が美しく無駄がない。さらに、「地球儀」の回転するイメージが、繰り返される親と子の関係と重なるようで小説に奥行きが出ている。

 そもそも『地球儀』のどこが難しかったかというと、①「スピンスピン」のように英語の発音を無理やりカタカナにしたところで読むスピードが乱れた②小説の中に登場人物が書いた小説が挿入されるという「作中作」のメタ的な構成に戸惑った③設問にあるように「地球儀」のメタファーを読み解くのに高度な読解力がいる、といったところだろう。そりゃ試験当日に「スピンスピン」とか言われたら、自分のアタマがスピンスピンしてしまう。国語が苦手な人にとっては、小説の中の小説って何なの?と思うだろう。この小説の肝である「作中作」と「地球儀が何を意味するか」については設問で問われているので、この技法の効果を考えるのを避けることはできない(消去法で解くという手もあるが)。受験した時に問題を解きながら気づいたのは、『地球儀』は作中作という技法を使い「子が親になる物語」を描いた小説ということと、「地球儀」が何のメタファー(象徴)かを理解すると簡単に設問は解けるようになっていることだ。問題作成者もこのことを念頭において問題を作ったんじゃないかなと勝手に思っている。では「子が親になる物語」とは何か、作中作の技法的な意味は何か、「地球儀」を私(純一)が父に抱くアンビバレントな感情の象徴と読み解けるのは何故かについて考察していこうと思う。

 

 

牧野信一ってどんな作家?

ゼーロン・淡雪 他十一篇 (岩波文庫)

ゼーロン・淡雪 他十一篇 (岩波文庫)

 

 解説に入る前に、牧野信一という作家はどんな作家について説明しようと思う。僕自身センター試験を受験するまで牧野信一という作家を知らなかった。ウィキペディアで調べてみると、17年間の作家生活の中で珠玉の短編十数編を残して早逝したマイナー・ポエトと評されていた。知る人ぞ知る作家といったところだ。「ギリシャ牧野」とも呼ばれ、中期の幻想的な作品で新境地を拓いたらしい。しかし、最後は多くの文豪と同様に自殺してしまったみたいだ。Amazonで入手できる本を調べてみると、『ゼーロン・淡雪 他十一編』という岩波文庫から出ているが絶版になっている。センター試験で出題された『地球儀』は青空文庫で読める。ちなみに同じ年に評論(もはや随想)で出題された小林秀雄とも交流があった。2013年はちょうど小林秀雄没後30年だったので、それに合わせて出題したのかもしれない。

 

 

「子から父になる物語」 の構造を持った小説

 『地球儀』の話に戻ろう。この『地球儀』という小説のストーリー骨格は「子が父になる物語」だ。かつて子どもだった「私(純一)」が親として成長し、自分も「栄一」という子どもが出来て「父」の立場になるというストーリーラインだ。この「子が親にある話」というのは、文学作品の典型的なテーマで、主人公の親としての成長が描かれている。自分が子どもだった時の親の気持ちが、自分が親になって分かるというお決まりの形だ。受験問題にもよく出てくるテーマでもある。

 『地球儀』では「子と親」の構造がくるくる回る地球儀のように繰り返されている。祖父と父、父と私 (純一)、そして私(純一)と栄一だ。みんなかつては子どもの立場だったが、成長して父の立場になり親として成長してきた。父も祖父との間に衝突があり、父も自分の親に対して複雑な感情を持っていたんじゃないかなと読み取れる(試験問題を解くには根拠が薄いが、個人的に深読みするとそう読める)。父に対して複雑な感情を抱いてたが、自分にも「栄一」という子どもができ父親となることで、子どものころの「私(純一)」を栄一に重ね、かつての父に「私(純一)」を重ねている。かつての父に習ってか、外国に行こうとする場面も見られる。「私(純一)」はどこかで父を意識しているのだ。「私(純一)」は親から仕送りをもらっているようで(「これからもうお金なんて一文もやるんじゃないッて」の部分から)、親族の話を観る感じでは自立した大人とは言えないようだ。けれども、「父」として成長するために悩んでいるのだと思う。外国に行くと言ったのも、父と自分を重ね合わせ成長しようと考えたからだろう。

 「私(純一)」が「父」に抱くのは「愛情」と「嫌悪」のアンビバレントな感情だ。祖父の十七年の法要で帰ってきた「私(純一)」は、母の話を聞いた手前、放蕩している「父」に対して「帰るな帰るな」と口走り、ちょっとした嫌悪感を示していた。だからといって、「私(純一)」は父を嫌っている訳ではない。好意と反感、相反する複雑な感情を抱くのが人間だ。「私(純一)」が幼いころは、アメリカにいる「父」の帰りを待ちわびて地球儀で遊んでいた。アメリカから帰ってこない父を待ちわびて「早く帰れ早く帰れ」と言いながら地球儀を回していたのである。ここから「私(純一)」の父に対する愛情というか思慕が読み取れる。「帰るな帰るな」と「早く帰れ早く帰れ」、この相反する感情が象徴されるのが「地球儀」というアイテムであり、「私 (純一)」の父に対する気持ちが最も現れているのが作中作の部分になる。

 

「地球儀」は何を象徴するか?

  タイトルにもなっている「地球儀」は、父親に対するアンビバレントな感情のメタファーとなっている。この小説では父との思い出や父に対する感情が「地球儀」と結び付けられて描かれている。初め地球儀は母に雑な扱いを受ける。「ただでさえ狭いのにこれ邪魔でしようがない。まさか棄てるわけにもゆかず」といった感じで、邪魔だとかいらないとか邪険にされる。母は放蕩している父のことをよく思っていない。「もう家もおしまいだ。私は覚悟している」と母の覚悟を知り、「私(純一)」も同調して「帰るな帰るな」と口走ってみたりする。ここで「地球儀」は父に対する負の感情の象徴として描かれている。

 母は父のことをよく思っていなかったが、「私(純一)」はそうではなかった。アメリカから帰ってこない父のことを思い、地球儀で遊びながら父が早く帰ってくることを願っていた。「私(純一)」が父に抱いていたのは負の感情だけではない。愛情や思慕といった正の感情も抱いていたのだ。このように「地球儀」には、正と負、愛情と嫌悪というアンビバレントな感情が込められている。アンビバレントな感情の中でも、「私(純一)」の父に対する愛情が強く描かれているのが途中に挿入された作中作だ。
 

 

作中作という仕掛け

  『地球儀』という小説には、「私(純一)」が昔書いた小説が作中作として挿入されている。いわゆるメタフィクション的な仕掛けがなされている。具体的に言うと、『祖父は泉水の隅の灯籠とうろうに~から作中作が始まり、「早く帰れ早く帰れ」という風になってくるのだった』で終わる部分だ。『』がついているので比較的分かりやすいだろう。この「お伽噺」は子どもの頃の「私(純一)」の父に対する思慕が描かれている。

 では、何故回想ではなく作中作で父親に対する思いを振り返っているのだろうか?ここからは推測でしかないけれど意味を考えてみる。「私(純一)」は作中で小説を書いている。回想するというのは思いを巡らせるだけだが、小説となると話は違う。何度も文を書いては推敲しなおしと、回想に比べて小説を書く方が時間がかかる。だから時間がかかる分思いが強くにじみ出ているのではないかと思う。

 地の文の父に対する負の感情と、作中作での父に対する正の感情が対比され、父に対するアンビバレントな感情が強く印象付けられる。それにしても、作中作がある小説が国語の問題文になっているのは、この『地球儀』以外に見たことがない。まあ、試験中だと深く読みこむ余裕なんてないよな。

 

 

 

センター国語の問題文って結構面白い

  こんな感じで、『地球儀』は子と父の関係を描いた重層的な小説だ。「スピンスピン」だけじゃない!『地球儀』しかり、センター国語の小説って面白いものが多い。幻想的な『水辺』とか、僕っ子が主人公の『僕はかぐや姫』とか、堀江敏文の『送り火』とか。あまり良い思い出がない人もいるかもしれないけれど、僕はセンター国語で面白い小説や作家に出会えたので割と好きだった。『地球儀』は素晴らしい小説なので、是非読み返してみてはいかがでしょうか?

 

 

 

www.aozora.gr.jp

 

栞の一行

「スピンアトップ・スピンアトップ・スピンスピンスピン――回れよ独楽こまよ、回れよ回れ」

 

まあ、印象に残るのはこの一行だよね。

 

 

 

センター国語関連記事

plutocharon.hatenablog.com