「第三の新人」とは?
「第三の新人」という文学史上の用語がある。高校生の時に国語の便覧に書いてあるのを見た人や、文学史の一環として覚えさせられた人もいるかもしれない。
第三の新人とは、無頼派・新感覚派のように、戦後文壇に登場した小説家たちにつけられたグループ名だ。厳密な定義はないのだが、安岡章太郎、吉行淳之介、小島信夫、庄野潤三といった作家が第三の新人に含まれる。遠藤周作も含まれることもあるが、他の第三の新人と作風が少し異なるかなと個人的には思う。
この「第三の新人」というネーミングは文芸評論家の山本健吉がつけたものだ。当時評判だった「第三の男」というアメリカ映画が元となったと言われている。
この第三の新人たちの作風は、私小説テイストなところに共通点がある。「第三の新人」たちは互いに仲が良く、よく交流していたことは確かなようだ。
現在、第三の新人の本は書店に置いてあることが少ない。やはり戦前の文豪と比べると知名度が劣るからだろうか。街の本屋に置いてあるのは遠藤周作ぐらいだろう。大きい書店とか恵文社のようなセレクト書店に行かないと第三の新人の本が置いていない。
今では、知名度が低い「第三の新人」だが、小説が劣っているというわけではない。知名度が低いというのが信じられないほど、その小説群は素晴らしいのだ。
近年では保坂和志が小島信夫の再評価を積極的に行っている。また、村上春樹は「第三の新人」の小説を読み解いた『若い読者のための短編小説案内』を出版している。
大江健三郎や三島由紀夫のような派手さはないかもしれないが、秀作が揃う「第三の新人」たちを紹介していこうと思う。
安岡章太郎
安岡章太郎はダメな部分をさらけ出したありのままの人間を描いた作家だ。日常生活の実感の中に視点を定めて人間個人の内面を追求し、軽妙な筆致の中に幸福そうな外見の下にある空虚さや不安さを暴き出した。
代表作としては『海辺の光景』、『ガラスの靴』、『陰気な楽しみ』、『悪い仲間』が挙げられる。
吉行淳之介
性や男女の関係性をテーマにした小説を数多く残したのが吉行淳之介だ。吉行淳之介は小説だけではなく、洗練されたエッセイの書き手としても知られている。
吉行淳之介の小説には娼婦がよく登場する。『驟雨』も、青年の娼婦への恋が描かれている。吉行淳之介は性愛を通じて、精神と肉体の関係性を描いてきた。
代表作としては『驟雨』や『暗室』が挙げられる。
小島信夫
小島信夫も他の「第三の新人」と同様に私小説に近い小説を書き続けてきた。小島信夫への僕の印象は少し奇妙な作家というものだ。 他の「第三の新人」とは違うところは文体にある。突然人称が変わったり、妄想が入り混じったりと文体に奇妙なところがあるのだ。
私小説的な小説だけでなく、『別れる理由』という歴史に残るメタフィクションの問題作というか、文学的放送事故ともいうべき小説も書いている。
日本とアメリカとの関係性をテーマにした作品を書いており、芥川賞を受賞した『アメリカン・スクール』や谷崎潤一郎賞を受賞した『抱擁家族』などがそれにあたる。『抱擁家族』はそれ以外にも、男がいかにしてバラバラになった家族を再構築するかというところを描いた小説でもあるので家族小説として楽しめる。
最近では保坂和志の「布教」の効果もあって、知名度は上がってきたんじゃないかなと思う。僕自身、保坂和志経由で小島信夫を知り読むようになった。
おすすめは『アメリカン・スクール』、「馬」、『抱擁家族』だ。
庄野潤三
庄野潤三は私小説や短編小説をメインに活躍した作家だ。『プールサイド小景』で芥川賞を受賞している。この『プールサイド小景』は会社をクビになった男性とその家族の日常を描いている。幸せな日常がいかに脆弱で、簡単に壊れてしまうかが描かれている。
遠藤周作
「第三の新人」に入るかどうか怪しい遠藤周作。遠藤周作は他の「第三の新人」と違い、キリスト教を主題とした小説を数多く残した。キリスト教が根付いた西洋の文化風土とは異なる日本の精神風土における神や信仰のあり方を問い返す作品が多い。
また、ユーモアに富んだエッセイも多く書いている。
代表作は『沈黙』、『海と毒薬』。
第三の新人をより理解するためにおすすめの本
最後に合わせて読むと第三の新人の作品の理解が深まる本を紹介したい。
それは江藤淳の『成熟と喪失』と村上春樹の『若い読者のための短編小説案内』だ。
第三の新人の作品と合わせて読むことをオススメする。