「サヨク」を描いた島田雅彦のデビュー作
僕は「左翼」が流行った時代を知らない。生まれたときには冷戦は終わっていたし、ソ連はロシアになっていた。日本でも左翼運動が盛り上がったらしいけれど、歴史の教科書や小説ぐらいでしか見たことがない。『僕って何』、『されどわれらが日々』、『赤頭巾ちゃん気を付けて』、『ノルウェイの森』など、激しい学生運動が描かれた小説はいくつかある。けれども、『優しいサヨクのための嬉遊曲』は少し違う。主人公は左翼的な学生団体に入っているが、革命を目指すとか言った運動をしている訳ではない。大学生がサークル活動を楽しむかのような感覚で左翼活動をしている。主人公の千鳥姫彦は熱心な革命運動を起こす「左翼」ではなく、家庭的な「サヨク」なのだ。
そもそも左翼とは?
そもそも左翼とは何だろうか?
左翼とは、政治においては通常、「より平等な社会を目指すための社会変革を支持する層」を指すとされる。「左翼」は急進的、革新的、また、革命的な政治勢力や人を指し、社会主義的、共産主義的、進歩主義、急進的な自由主義、無政府主義傾向の人や団体を指す。
Wikipediaから引用するとこんな感じだ。ざっくりいうと、社会主義や共産主義を信奉している人のことを左翼という。日本でも激しい社会主義運動があったが、その激しさは 『優しいサヨクのための喜遊曲』にはない。作中で千鳥姫彦は自らのことを「革命家」ではなく、「変化屋」だと言う。家庭を大事にする「変化屋」は保守化した「左翼」ともいえる。
青春小説を装ったポルノ小説
サヨクの面が注目されがちな「嬉遊曲」だけれども、メインストーリーは千鳥姫彦と逢瀬みどりとの恋愛模様だ。二人の恋愛はどこか作り物めいていて、内面がなく軽薄な感じがする。千鳥は悩むことなんかないように見えるが、最後の最後にみどりに見抜かれる。「考えるっていうのはなやむことなのよ。悩んだり、苦しんだりしたくなかったら考えない方がいいんですって」
あとがきで、著者はこの小説を「青春小説を装ったポルノ小説」と評している。
新潮版『優しいサヨクのための嬉遊曲』の文庫本は絶版になっている。