日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

美禰子という謎 / 『三四郎』 夏目 漱石

恋愛のアマチュア・三四郎の恋

夏目漱石の小説には恋愛小説が多い。しかも、どれも一筋縄ではいかない恋愛小説だ。『それから』では三角関係の果ての不倫が描かれているし、『門』では略奪婚のその後、『こころ』では三角関係の果ての悲劇を描いている。『それから』、『』と合わせて前期三部作と言われる『三四郎』も、ハッピーエンドではなくビターエンドな三四郎の恋愛の顛末が描かれている。この『三四郎』を読んでまず思ったのが、いつの時代も草食系男子がいるんだなということだ。

この『三四郎』のメインストーリーは、東京大学に入学するために三四郎が上京して、そこで知的な女性・美禰子に恋をするというものだ。舞台は近代化が急速に進む明治時代の東京。『三四郎』の中では、日本の近代化は表面しかなぞっておらず、日本の根本は変わっていないというふうに描かれている。田舎から出てきたばかりの三四郎と、東京に住む都会的な女性の美禰子。この二人は釣り合うのだろうか?

 

三四郎の時代背景について

まず簡単に『三四郎』の時代背景について説明しよう。作中の時代は明治四〇年頃だ。

また、当時の大学進学率は今ほど高くない。三四郎はこの時代においては超がつくほどのスーパーエリートなのだ。

 

 

明治時代の草食系男子・三四郎

 主人公の三四郎は恋愛に対して積極的でない「草食系男子」だ。そのことを示すエピソードが前半部分にある。三四郎が汽車で上京する際、行きずりの女と関係を持つチャンスが三四郎に訪れるのだが、純朴な三四郎は手を出さなかった。翌日、三四郎はその女にこう言われるのである。

 

「あなたは余っ程度胸のない方ですね」

 

恋愛の作法が分からない三四郎は、その女に翻弄されるのである。まさに据え膳食わぬ草食系男子。本文中には「二十三年の弱点が一度に露見したような心持であった」とも書かれている。三四郎は童貞なのだろう。この冒頭のエピソードは三四郎の性格を表すだけでなく、『三四郎』を読み解く鍵になるように思える。

 

 

美禰子という謎

東京に来た三四郎は、近代化が進む大都会・東京に驚き、訪れる孤独にふさぎ込んでしまう。そんな中で、三四郎は理系男子の野々宮先輩や与次郎、広田先生に出会い、孤独だった都会での生活に彩りが添えられる。

日々の生活の中で三四郎は知的で美しい女性・美禰子に出会う。美禰子は近代化日本の女性を象徴するような人で、東大生や文化人に引けを取らないほどの知識を備えている。三四郎は、美禰子に強く惹かれていくのである。美禰子は野々宮先輩の妹・よし子と仲が良く、それが縁となり三四郎は美禰子と交流するようになる。しかし、三四郎は美禰子と野々宮先輩が仲睦まじい様子を何回か見かけてしまい、二人の中を疑う。

冒頭のエピソードに示されるように三四郎は草食系男子だ。一歩踏み出すことを躊躇してしまう。結局、美禰子は三四郎でもなく野々宮先輩でもない人と結婚してしまうのであった。

 

三四郎は美禰子に好意を抱いていたが、美禰子の方はどうだったのだろうか?美禰子の方も三四郎に好意を抱いているように思える描写がいくつかある。美禰子は三四郎を初めて見たときに意識していたようなのである。

かといって、野々宮先輩に好意がなかったようには思えない。野々宮先輩に好意があって、三四郎は野々宮先輩を嫉妬させるために上手く使われただけなのかもしれない。もしくは、美禰子は野々宮先輩に好意を抱いていたが、野々宮先輩が積極的にアプローチしてくれなかったから三四郎に乗り換えたのかもしれない。野々宮先輩は理系男子だ。恋の機敏に弱い理系男子だから、冒頭のエピソードのように野々宮先輩もあと一歩を踏み出すことが出来なかったのかもしれない。

 

迷える子(ストレイシープ)

美禰子の気持ちを読み解くにあたり重要なキーワードがある。それは、「迷える子(ストレイシープ)」。その言葉が出てくるのは、三四郎が美禰子や野々宮先輩たちと菊人形を観に行く時だ。菊人形を観ている時に美禰子は具合が悪くなり、三四郎と一緒に仲間たちから離れる。そのときに美禰子は、「責任を逃れたがる人だから、丁度好いでしょう」というのである。それは踏ん切りのつかない野々宮先輩のことを言っているのかもしれないし、色々と解釈できる。その後会話を交わした時に美禰子は迷子の英訳は迷える子(ストレイシープ)だと三四郎に伝える。三四郎は、その言葉が頭から離れなくなり考え込んでしまう。

ここでいう迷える子(ストレイシープ)とは何だろうか?それは美禰子自身のことを言っているようにも解釈できる。様々な人に好意を抱かれる美禰子(三四郎、画家の原口、はっきりと断定はできないが野々宮先輩)が誰を選ぶか決めかねていることを表しているのかもしれない。あるいは野々宮先輩に自分の好意を気づいてもらえず葛藤していることを象徴しているのかもしれない。

 

この『三四郎』の面白いところは、美禰子が誰に好意を抱いていたのかについて色んな解釈ができることだ。僕にはこの「美禰子の謎」が良く分からない。この小説を読んでいると、女は男が理解できる範疇の外にいるのだなと改めて気づかされる。

 

 

 

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