日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

超絶技巧の問題作 / 『黒い仏』 殊能 将之

超絶技巧の問題作

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九世紀、天台僧が唐から持ち帰ろうとした秘法とは。助手の徐彬を連れて石動戯作が調査に行った寺には、顔の削り取られた奇妙な本尊が。指紋ひとつ残されていない部屋で発見された身元不明の死体と黒い数珠。事件はあっという間に石動を巻き込んで恐るべき終局へ。ついにミステリは究極の名探偵を現出せしめた。

 殊能将之といえば、『ハサミ男』が思い浮かぶ。『鏡の中は日曜日』も読んでいたけど、まさか『黒い仏』のような大大大問題作を書いているとは思わなかった。『黒い仏』も大どんでん返しのミステリーだけど、『ハサミ男』や『鏡の中は日曜日』とはベクトルが違う。斜め上すぎるどんでん返しなのだ。怒って壁に叩きつける人と、「凄く面白いものを読んだ」と肯定的に捉える人に大きく分かれそうなミステリーだ。一言で言うと賛否両論の問題作。この本を壁に叩きつけるかどうかは貴方次第

 

この『黒い仏』は殊能将之の石動シリーズの中の一つで、主人公は探偵の石動戯作(石動はいするぎと読む)と助手のアントニオ。『黒い仏』ではアントニオの衝撃としか言いようのない過去が明かされる。『黒い仏』はミステリー作家・クロフツのもじりなのかなと思ってみたり(黒仏=クロフツ!?)。ストーリーは円載の秘宝を巡る謎と、現代で起こる不可解な殺人事件が同時進行で進行していくというものだ。徐々に繋がりが見えてくるのだが、中盤辺りから雲行きが怪しくなってくる...そして衝撃の真相が明かされる。『黒い仏』の最後の一行は色々な意味で衝撃の一行だった。思わず笑ってしまった。途中の日本シリーズネタも、自分自身が野球に詳しくないこともあって面白く読めた。個人的には凄く衝撃的な小説を読めたから満足している。

 

ここから下はネタバレ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 本格ミステリの皮を被ったオカルトミステリー

 

論理的な石動の推理は明かされるのだが、実際は犯人は東京から空を飛んで九州に行き、超常現象的な手法で殺人を行っていたのである。もはやミステリというよりかは、オカルト。 助手のアントニオには並外れた(法力もしくは力(リー)と呼ばれている)があり、中国の情報部に追われている身であるという設定だ。『鏡の中は日曜日』を先に読んだけれど、アントニオにそんな片鱗は全く見えなかったぞ!事件解決後は闇の戦いが行われるような感じで終わりとなっている。

 

 

黒い仏と後期クイーン的問題

 最初に読んで思ったのは、この『黒い仏』は後期クイーン的問題にたいする皮肉というか、パロディ的な解答であるように思えた。

後期クイーン的問題とは、ミステリー作家法月倫太郎が指摘した、本格ミステリにみられる問題である。Wikipediaから引用すると、その問題とは

1.作中で探偵が最終的に提示した解決が、本当に真の解決かどうか作中では証明できない

 

2.作中で探偵が神であるかの様に振るまい、登場人物の運命を決定することについての是非

 

 である。この『黒い仏』では、1の問題が扱われているように思える。さらに、1についての解説をWikipediaから引用すると

つまり“推理小説の中”という閉じられた世界の内側では、どんなに緻密に論理を組み立てたとしても、探偵が唯一の真相を確定することはできない。なぜなら、探偵に与えられた手がかりが完全に揃ったものである、あるいはその中に偽の手がかりが混ざっていないという保証ができない、つまり、「探偵の知らない情報が存在する(かもしれない)ことを探偵は察知できない」からである。

作中の探偵石動はまさにこのような状況に陥っているのではないだろうか。石動は劇中で明らかになっている情報から推理を披露した。犯人側から見ると、殺人は超常現象的な手法で行われているので間違っていることは明らかだ。しかし、犯人たちが超常現象的な存在であることを知らない石動や私たち一般人に取っては、論理だった推理になっている。知らない情報がある限り、どんなに論理的に考えても、唯一の結末にたどり着くことはできないのだ。この『黒い仏』の面白いところは、この超常現象的な真実は超能力者以外には明かされず、逆に石動の推理と辻褄が合うように、タイムトラベルして過去の事実を書き換えるというところだ。もう斜め上過ぎて笑ってしまった。