青春三部作の二作目
村上春樹の第二作目であり、青春三部作の2作目である『1973年のピンボール』。『風の歌を聴け』に続いて、主人公は「僕」と「鼠」で、二人の話がパラレルに綴られて行く。この小説で二人が邂逅を果たすことはなく、2人が再び出会うことになるのは3作目の『羊をめぐる冒険』でのことである。タイトルの『1973年のピンボール』は大江健三郎の『万延元年のフットボール』からきているのであろうか。この『1973年のピンボール』は作中の言葉を借りれば、「入口があって出口がある」小説だ。双子たちが僕の元にやって来て、そして去っていく。「僕」はピンボールを追い求め、「鼠」は女の元を去ろうとする。
僕は、この小説を失われたものに向き合っていく小説だと解釈している。作中には失われてしまった人やもの・時代遅れになってしまったものが幾つも出てくる。直子や配電盤、ピンボールマシーン・スペースシップ、学生運動。主人公の僕はピンボール・スペースシップを探すなかで、直子の喪失に向き合う。いや、直子だけではなく、失われてしまったものすべてに。
学生運動の衰退と『1973年のピンボール』
1960年代と言えば学生運動がかなり盛り上がっていたときだ。1970年代に入り、学生運動は下火になっていく。そんな学生運動へのレクイエムのような意味も込められているのではないか。
配電盤のお葬式
直子とピンボール
ここでは、『1973年のピンボール』の直子と『ノルウェイの森』の直子を切り離して考えたい。スペースシップに直子が重ね合わせてられているようにかんじる。村上春樹の小説に頻出するモチーフとして「あちら側」と「こちら側」がある。あるいは、生と死と言い換えても良いかもしれない。生の世界から死の世界に踏み入れるシーン
そして『羊をめぐる冒険』へ
『1973年のピンボール』で邂逅を果たすことがなかった「僕」と「鼠」は、『羊をめぐる冒険』で再会することになる。再会には大きな喪失が伴っていた...青春三部作に続きに『ダンス・ダンス・ダンス』があるが、その小説に「鼠」は登場しない。「僕」と「鼠」の物語は『羊をめぐる冒険』で幕を閉じることになる。この『1973年のピンボール』はその終わりのための序章のように感じる。ちょうど『バック・トゥ・ザ・フューチャー2』のように。