日々の栞

本、映画、ファッションについて気ままに書く。理系の元書店員。

私小説とフィクションの間 / 『夏の情婦』 佐藤 正午

佐藤正午初期の短編集

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最近、佐藤正午しか読んでいない気がする。直木賞がきっかけで読み始めて、すっかりはまってしまった。もともと村上春樹大崎善生のような感傷的な小説が好きだったので、佐藤正午はピンポイントではまってしまった。好きなところは色々ある。過去の淡い恋愛を感傷的に描いたところや、私小説とフィクションの間のようなところ、洒脱な会話、練られた構成などなど。長編小説では時系列がシャッフルしていたりと構成が凝っている。一方で短編小説では私小説とフィクションの間ともいえるような身近な恋愛話が綴られることが多い。佐藤正午の短編を読むたびに思うことは、私小説として読めそうなフィクション。佐藤正午の短編小説は私小説とフィクションの間の絶妙な距離を保っているように思う。この『夏の情婦』では5つの短編小説が収められている。

 

「二十歳」は「ぼくはネクタイを結べない男である。」という一文から始まる。この一文からどんな話を展開させていくのだろうという期待に引っ張られてぐいぐい読んでしまう。主人公の大学生時代の恋愛の思い出が綴られている。学生時代という、もう決して手の届かない場所に手を伸ばすような短編だ。次に「夏の情婦」。これが一番好きかもしれない。塾講師を勤める男と女の脆い関係性を描いた秀作だ。男を真剣に愛する女と、女を性欲のはけ口としてしか見れない男の一夏の関係が描かれている。体だけを求める男と、真剣に愛している女の関係性は恋愛感情でつながれた彼氏彼女の関係性ではなく、ただの情婦と客の関係性だ。男の女に対するだらしなさというか、ダメさ加減というか冷たさに何故か共感してしまう。自分もただのダメ男なのかもしれない。「片恋」では高校時代の片思いをノスタルジックに描いている。「傘を探す」も「夏の情婦」と並ぶぐらい好きだ。置き忘れた傘を探して主人公が夜のさまよう。傘を探すストリーと並行して、悦子との関係性をめぐる話も展開される。傘を探すことで、悦子との関係に向き合うことから逃げるが、思わぬところで二つの話が重なる。「恋人」では色んな女性たちを渡り歩いてきた男が偶然出会った女との意外な顛末が描かれている。

 

ダメ男を描いた文豪と言えば太宰治がいる。太宰治の小説に出てくる主人公たちも女にだらしない。「傘を探す」を読んでいると『桜桃』という小説のある台詞を思い出した。「子供より親が大事、と思いたい」。「傘を探す」という短編の中で主人公はこう言っている。「子供なんていてもいなくても男と女には関係ないんだからな」。

 

佐藤正午の短編に出てくる男たちは女にだらしないダメ男だ。だけれども、弱い部分をさらけ出しているからか、何故か憎めない。僕が佐藤正午の小説にはまった理由はそこにあるのかもしれない。

 

 

夏の情婦 (小学館文庫)

夏の情婦 (小学館文庫)

 

 

ワタシの一行

子供なんていてもいなくても男と女には関係ないんだからな。

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