日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

ここではないどこかへ / 『アズミ・ハルコは行方不明』 山内 マリコ

地方都市に住む人々の鬱屈を描き切った傑作

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『パリ行ったことないの』が凄く良かったので、同じ著者の山内マリコ作品を読んでみたけど、この『アズミ・ハルコは行方不明』も大当たり。地方都市に住む人々の鬱屈や閉塞感、上辺だけの関係、そして可能性が閉ざされつつある若者の焦燥感などすごく身に染みる内容だった。

固有名詞がポンポン投入されていて、若者が共感できるポップな文体になっている。現実的な話かと思いきや、少女ギャング団というファンタジックな存在も登場する。とにかく、地方都市の閉塞感をみごとに描いている。ここではないどこかへ行きたいと思っている人がこの小説を読むと、深く心をえぐられるだろう

 

アズミ・ハルコの失踪が物語を動かす

物語はアズミ・ハルコの失踪によって大きく動く。第一部ではアズミ・ハルコは登場せず、愛菜・ユキオ・学の三人を主人公にして話が進んでいる。三人は同級生で、ひょんなことから再開する。3人はそれぞれに自意識過剰であったり、自分の可能性が閉ざされてしまうような閉塞感に悩んだりしている。まさに現代の若者の見本市。特に愛菜はメンへラというほどでもないけれど、恋愛体質で恋人に依存してしまう女子で、こんな女子いるよねってなる。ユキオと学はグラフィックアートで人生の閉塞感を打ち破ろうとする。そのグラフィックアートの題材となったのが失踪したアズミ・ハルコだ。

 

二部になってようやくアズミ・ハルコがでてくる。最初は朝井リョウの『桐嶋、部活辞めるってよ』みたいに中心人物が出て来ないのかと思っていた。第二部ではアズミ・ハルコこと安曇春子がなぜ失踪したかが描かれている。上司のセクハラに耐え、単調な仕事をこなす日々が続く。このままでいいのかという焦燥感や、女の人がさらされる結婚へのプレッシャーがリアルに描かれている。現実的なところもあれば、少女ギャング団という空想的な存在も登場してくる。

 

第三部ではそれぞれが閉塞感を打ち破ろうとしていく展開になる。学は警察に連行されるが、それがきっかけで新聞の記事に特集され、アートフェスにグラフィックアートを出店することになる。けれど、結局アートフェスに人が集まらず、地方都市の停滞感を象徴する結果となってしまう。学とユキオは、グラフィックアートで閉塞感を打ち破ることはできなかったのだ。むしろ地方都市の閉塞感に回収されてしまった。一方ユキオに捨てられてしまった愛菜には予期せぬ出会いが訪れる。心が温かくなるラストだった。

 

「アズミ・ハルコ」が意味すること

漢字の安曇春子ではなく、カタカナの「アズミ・ハルコ」は固有名詞では終わらない意味を持っているような気がする。どうしようもない現実から逃げて行方不明となった女たち、地方の閉塞感を打ち破ろうとする女たちを象徴しているように思えてならない。この『アズミ・ハルコは行方不明』は、日本の「アズミ・ハルコ」たちに捧げられた小説だ。

 

 

 

 

 

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