日々の栞

本、映画、ファッションについて気ままに書く。理系の元書店員。

失われた恋の残響 / 『九月の四分の一』 大崎善生

心の感傷的な部分に響く短編集

九月の四分の一 (新潮文庫)

九月の四分の一 (新潮文庫)

 

 何故だかわからないけど、感傷的な気分に浸りたくなる夜がある。失われた恋愛や青春の終焉に対する悲しみや、上手くいかないことや潰えた夢へのやるせなさ、それらが一気に噴き出してくるときがある。そんな感傷的な気分の時に読みたくなるのが、大崎善生の短編集『九月の四分の一』だ。透明感溢れる文体で綴られる四つの青春小説が収録されている。

 

ケンジントンに捧げる花束

主人公は長年編集長を務めた『将棋ファン』を辞めることを決意する。その決断が恋人・美奈子との関係に大きな波紋を投げかける。悩む主人公に光を投げかけたのは、日本から遠く離れたイギリスで将棋ファンを購読していた吉田宗八の存在だった。今まで存在を知らなかったが、確かに存在していた吉田宗八が主人公の仕事を肯定し、勇気を与えた。不確かな存在が、一人の人生に大きな影響を与える。冥王星のように。この短編では、厳しい戦時中を生きた吉田宗八の人生と恋に、主人公の人生や恋が響きあっている。

 

哀しくて翼もなくて

 青春時代の無垢さが失われてゆく哀しさややるせなさといった切実な思いに溢れていて、胸が締め付けられる。追憶の日々の中に、少女の切実な歌がこだましている。

 

九月の四分の一

 小説を書き切ることが出来ない主人公の焦燥感や閉塞感、そして失われた恋が描かれている。この短編集で一番好きな小説だ。終わりの見えない暗闇の中で主人公が感じる焦燥感や不安、閉塞感が手に取るように伝わってくる。そして、小説を書くことへの情熱が失われてしまっていることに気づいてしまったときの悲しみ。夢が潰えてしまうことへのやるせなさ。それらの感情が村上春樹っぽいともいえる叙情的な文体で綴られている。そして小説家になることに挫折した主人公は、就職し家電ショップで働くことになるも、仕事を辞めて、グランラプスに行くことを決意する。グランプスとは、ユゴーが「世界一美しい場所」と評した場所だ。そこを挫折の逃げ場所とするために。そこで奈緒と出会い一緒に過ごすうちに、互いにひかれあうようになる。目的も用途もなく、ただそこに存在する恋、実存主義的な恋だ。アンカールのビルのように。だが、その実存主義的な恋は唐突に失われてしまう。書置きを一枚残して。

 

今度は九月四日で会いましょう。

 このまま惹かれあうことに恐怖を感じながらも、また会えることを期待した謎めいた文章。素敵な言葉だ。けれど、主人公が意味をはき違えてしまい、恋は失われたままになってしまう。旅先で出会った男女の淡い恋愛模様は、映画『ビフォア・サンライズ』を彷彿とさせる。

失われた恋は、崩されたビルのように二度と戻ってくることはない。ただ、残像が残っているだけである。

失われた恋は、失われたがゆえに美しい。時にその残像は深く心に刻まれる。最後の駅で奈緒を待つシーンが深い余韻を残している。

 

この話を女性側の視点から描いた話があって、それが『ドイツイエロー、もしくはある広場の記憶』という短編集に収録されている「キャトルセプタンブル」という短編だ。気になる人は読んでみて。