日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

おしゃれは突き詰めると人の内面に帰結する説

お洒落は内面から?

 

「無理して服を買わなくていい。それよりも勉強して内面を磨いた方がいい」これはある服屋の店員に僕が実際言われた言葉だ。まさか、服屋の店員に服を買わなくていいと言われる日が来るとは思わなかったけど、その店員の話は凄く印象に残っている。コムデギャルソンやモード系の話をその店員さんと話していたのだけれど、良い服を着るにはそれ相応の知識が必要だと教えてくれた。普通の服のことを知らないとコムデギャルソンの素晴らしさは分からないことや、おしゃれは結局内面や人間性に直結するということを教えてくれて、目からうろこだった。

 

ブランドの服を着るということ

その店員さんにあったのは2~3年前のことで、大学生になったばかりのころだったように思える。その話を聞いて以来、おしゃれとはなにかと時々考えるようになった。高校生の頃から服が好きで、コムデギャルソンやアンダーカバーのようなモード系の服を着たいとずっと思っていた。その頃はお金さえあれば高い服を買って、着ることが出来ると思っていた。けれども、本当の意味でブランド物の服を着こなすことは難しいことなんだと、大学生になってから思うようになった。ドメスティックブランドの服であれば、ブランドのデザインの特徴や、服のデザインへの造詣が必要になる。さらにラグジュアリーブランドであれば、そのブランドの歴史を背負うことになる。ラグジュアリーブランドであればきる側にもそれ相応の地位というか、人間的な魅力が必要になると思う。服の価値が、服を着る本人の価値を上回るときに、服に着られているというのだろう。それにドレスコードという決まりもある。個人的には、服のセンスというものは人それぞれで良し悪しはないと思うけれど、ドレスコードはみんなちゃんと守らなければならないと思う。結局おしゃれというものは突き詰めると内面というか、人間性に帰結するのではないかと思う。

 

着たい服が似合う自分になる

僕の将来の夢の一つは、コムデギャルソン、マルジェラ、バレンシアガの服が似合う大人になることだ。どのブランドもファッションの歴史を創り上げ、時には伝統を破壊し、ファッションを更新してきた偉大なブランドだ。そんなブランドの服を着るのにふさわしい存在感をもつ人に私はなりたい。着たら着たで、この服に自分はふさわしいのかと悩むんだろうな。そうならずに、胸を張って服を着こなせるようになりたい、いやなる。いつになることやら。