日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

人はみな孤独な旅人 / 『スプートニクの恋人』 村上 春樹

恋愛の痛みと不条理さを描いた『スプートニクの恋人

 

 22歳の春にすみれは生まれて初めて恋に落ちた。広大な平原をまっすぐ突き進む竜巻のような激しい恋だった。それは行く手のかたちあるものを残らずなぎ倒 し、片端から空に巻き上げ、理不尽に引きちぎり、完膚なきまでに叩きつぶした。そして勢いをひとつまみもゆるめることなく大洋を吹きわたり、アンコール ワットを無慈悲に崩し、インドの森を気の毒な一群の虎ごと熱で焼きつくし、ペルシャの砂漠の砂嵐となってどこかのエキゾチックな城塞都市をまるごとひとつ 砂に埋もれさせてしまった。みごとに記念碑的な恋だった。

 

 印象的な恋の比喩で始まる『スプートニクの恋人』。この冒頭が示すように、『スプートニクの恋人』は全編比喩が過剰に使われた、かなりリリカルな小説である。一般的に比喩表現が多い村上春樹作品だけど、特に『スプートニクの恋人』は比喩表現が多い。村上春樹の長編小説は一通り読んだけれど、スプートニクの恋人の文体が一番リリカルじゃないかなと思う。しかも、その一つ一つがお洒落で秀逸すぎる。特に冒頭の比喩には痺れた。感傷的な恋愛小説にはリリカルな文体がよく似合う。
スプートニクという言葉は旅の同伴者と孤独な衛星を表す。スプートニクの恋人というタイトルが表すのは、人は究極的には孤独であるということなのかもしれない。スプートニクは旅の同伴者と同時に、孤独な衛星、分かり会えない孤独な人々を意味している。スプートニクの恋人ビートニクスプートニクと間違えた事に由来している。ビートニクを代表する作家・ジャック・ケルアックの作品に「孤独な旅人」というのがある。この繋がりに気付いたとき鳥肌がたった。人はどこにも行けない状況であろうとも、自分が損なわれようとも、それを抱えて生きなけばならない。喪失と孤独にどう向き合うか。この小説の一部分は短編小説の『人食い猫』からきている。

スプートニクの恋人ノルウェイの森 

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)

 

 

この『スプートニクの恋人』で重要な要素として、にんじんの存在がある。にんじんは『あちら側』の世界に片足を突っ込んでいる主人公をこちら側に繋ぎとめる役割を果たしている。『ノルウェイの森』でいう緑のような存在だ。最後の電話のシーンは『ノルウェイの森』を彷彿とさせる。『スプートニクの恋人』は『ノルウェイの森』の一つの変奏と言えると僕は思っている。
 
スプートニクの恋人 (講談社文庫)

スプートニクの恋人 (講談社文庫)

 

 

 

めくらやなぎと眠る女

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