日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

官能的な変身譚 / 『フラミンゴの村』 澤西祐典

ある日村の女たちがフラミンゴに

 男が眠りから覚めると虫になってしまったのはカフカの変身、男が自尊心と羞恥心を拗らせて虎になってしまったのは中島敦の山月記。そしてこのフラミンゴの村では、女たちがフラミンゴになってしまう。有名な変身譚と比較してみると中島敦の「山月記」とは違って、村中の女達が何故フラミンゴになってしまったかという理由には触れられていない。カフカの「変身」のように、変身してしまった理由は明かされず、ただただ不条理な状況下での人間心理が描かれている。赤い鳥『フラミンゴ』というのは作中でも出てくるメーテルリンクの『青い鳥』との対比なのだろうか?カフカの変身と大きく異なるのは、変身してしまったものの目線ではなく残された男たちの目線で進行するところだ。フラミンゴ(女たち)の内面は描かれずに、男たちの狼狽している様子や、不条理な状況にいかに対応するかが描かれている。特に村八分などの極限状況での人間心理や疎外に重点が置かれているように思えた。女たちがフラミンゴになってしまった理由は最後まで明かされることなく物語の幕は閉じてしまう。不条理な状況下での人のありかたが描かれている。

 

官能的なラストシーン

カフカの「変身」とは違って、この『フラミンゴの村』は官能的な一面も持っている。特にラストシーンは絢爛なイメージで官能的な場面が綴られている。