日々の栞

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過ぎ去った時間の痕跡 / 『知らない町』 大内伸悟

かつて誰かがいた場所に、私は存在している

 

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三月の終わりごろになると、ばたばたと引っ越しシーズンになる。僕の住んでるアパートでも知り合いが新天地に引っ越したり、見知らぬ隣人が気が付くと引っ越していて、しばらくすると新しい住人がやってきたりしている。こんな三月の終わりになるとふとある疑問が頭に浮かぶ。自分が今住んでいるこの部屋の前の住人はどんな人だったんだろう?男の人だったのか、女の人だったのか、趣味は何だったのか、どう時間を過ごしていたんだろうと。そして、かつて誰かが存在していた場所に僕は存在しているんだなと。『知らない町』はそんな「存在の残響」や「過ぎ去った時間の痕跡」を描いた映画だ。大きな劇場で公開されている大衆的な映画と違い、淡々とストーリーが進み、後半では辻褄の合わないことが起こり、現実ではない世界が広がっていく。観終わった感想としては、なかなか出会うことのない斬新で不思議な映画だなと。存在や時間の不可思議さに触れられたような気がした。

 

ある日、地図調査員の板橋優二の部屋に廃品回収をしている友人の西田が回収したソファーを持ってくる。そしてその夜、優二の部屋の前の住人だったという中沢という女性が一緒に暮らしていたゴトウという男性に会いに訪ねてくる。中沢が帰った後に、西田が幽霊と見たと言い出し、ちょっとした騒動になる...あらすじはこのような感じだが、この映画はあらすじにまとめることが出来るような映画ではない。散文的な映画ともいうのだろうか。幽霊が映らない幽霊映画ともいうのか。この映画を見ていると、幽霊というのは「存在の残響」ではないのだろうかという気がしてくる。この映画では、過去の時間の痕跡を意識させるようなものが沢山出てくる。地図、街、アパートの部屋、廃品回収のソファー。ピンボケした映像は現実と夢を溶かしていくような感じがする。部屋を定点から撮ったカットは幽霊の視点から撮ったようにも思える。物や街には過ぎ去った時間や人の存在が染み込んでいる。自分が住む前のアパートには誰かが住んでいて、リサイクル品はかつて誰かが使っていた。普段意識しないような時間の積み重なりを意識させられた映画だった。映画の後半では中沢と廃品回収のソファーの持ち主、優二の関係性が浮き上がってくる。そして優二はいつの間にかゴトウになっている。もしかしたら自分は、別の誰かになっていたのではないかという存在の不思議さを感じた。

 

 

こうやってぼおっと川を眺めながら、同じように眺めている人がいたんじゃないかなって想像したんです。そしたら私の目を通して誰かがこの景色を眺めているんじゃないかな、と思ったんです。

 

 

作中の中沢のこの台詞にははっとさせられた。僕はかつて誰かが存在した場所にいる。不思議としか言いようのない存在や時間の神秘に触れたような気がした。自分が住んでいる街にもかつて誰かがいて、過ぎ去った時間がある。こう考えると『知っている町』がいつの間にか『知らない町』に反転している。

 

 

 

わたしがいなかった街で

 

 

わたしがいなかった街で (新潮文庫)

わたしがいなかった街で (新潮文庫)

 

 

この映画の過ぎ去った時間の痕跡や時間の積み重なりを描く感じは、どことなく柴崎友香の小説と雰囲気が似ている。柴崎友香は『春の庭』で芥川賞を受賞している作家で、場所に積み重なった時間や過ぎ去った時間の痕跡をモチーフとした小説を書いている。この『知らない町』を観ていると柴崎友香の小説が思い浮かんだ。『その街の今は』、『春の庭』、そして特に『わたしがいなかった街で』が。『その街の今は』ではたくさんの人々が住んでいた昔の大阪の街に思いが馳せられる。自分がいまいる場所も、かつて誰かがいた場所なのだ。