日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

パリは移動祝祭日 / 『移動祝祭日』 ヘミングウェイ

パリは移動祝祭日

f:id:plutocharon:20200705221832j:image

もし幸運にも、若者の頃、パリで暮らすことができたなら、その後の人生をどこですごそうとも、パリはついてくる。パリは移動祝祭日だからだ 

誰にとっても青春時代はかけがえのないもので、そこでの経験が自分を支える大きなピースになる。ヘミングウェイにとってそのピースは、パリでの修業時代だった。

パリは移動祝祭日」という素敵なエピグラムから始まる『移動祝祭日』はヘミングウェイのパリ修行時代が綴られたエッセイだ。スコット・フィッツジェラルドやガートルード・スタインといった様々な芸術家との交流、パリでの暮らしや執筆活動がヘミングウェイの目を通して魅力的に描かれている。

ヘミングウェイは『日はまた昇る』、『老人と海』、『武器よさらば』といった作品を残しており、男性的というかマッチョなイメージがあった。だが、『移動祝祭日』は青春時代を回顧して書かれたということもあってか、繊細でリリカルでどこかノスタルジックな雰囲気があるエッセイになっている。

 

タイトルの移動祝祭日 (英語では A Moveable Feast) はキリスト教の用語で、クリスマスのように日付が固定されている祝日ではなく復活祭の日付によって移動する祝日のことである。

新潮文庫版の解説に書かれているように、本書のタイトルの意味はこのような辞書的なものだけではないだろう。その後の人生に大きく影響をあたえたパリでの青春時代、それはヘミングウェイにとってその後の人生についてまわる祝祭のような日々だったのだろう。このタイトルはヘミングウェイ自身が決めたものではない。『移動祝祭日』はヘミングウェイの遺作で、タイトルは生前ヘミングウェイがホッチナーというライターに言ったセリフをもとにつけられている。この移動祝祭日というタイトルは本当に素敵だ。

 

本書では、ヘミングウェイが過ごしたパリでの甘美な思い出が綴られている。舞台となった1920年代のパリには、コクトー、フィッツジェラルド、ピカソ、スタイン、ジョイス、パウンドらの名だたる芸術家がひしめいていた。芸術家にとってこの時代のパリで過ごす日々はきっと祝祭のように煌めいたものであっただろう。

『移動祝祭日』では芸術家が集まっていたスタインのサロンの様子が描かれている。そこで繰り広げられるスタインとヘミングウェイの絵画や小説談義はとても魅力的だ。スタインはヘミングウェイを語るうえで欠かせない存在である。ヘミングウェイやフィッツジェラルドといった作家のことを指すロストジェネレーション(自堕落な世代・迷子の世代)という名称はスタインがヘミングウェイに言った言葉に由来している。ロストジェネレーションを「失われた世代」と訳すのは今では誤訳らしい。

 

スタインに加え、パウンドとの交流も描かれている。ヘミングウェイはパウンドから「形容詞を信頼しすぎること」の危険性を学んだ。良き友人でありライバルでもあったフィッツジェラルドについても書かれている。特にフィッツジェラルドとのリヨンへの旅は凄く面白い。フィッツジェラルドってお酒に弱かったんだな。フィッツジェラルドについて書かれた章を読むと、ヘミングウェイがフィッツジェラルドの才能を認めていたことがよく分かる。そして、フィッツジェラルドが自身の才能を上手く発揮できないのはフィッツジェラルドの妻のゼルダのせいだと考えていた。ゼルダが夫の才能に嫉妬し、彼を邪魔していると。ヘミングウェイにとってフィッツジェラルドがかけがえのない存在であることが分かる。

なんといってもカフェでの執筆シーンが素敵だ。サン・ミシェル広場のカフェ、クロズリー・デ・リラとパリのカフェが魅力的に描かれている。執筆に邪魔が入ると露骨に嫌悪感を示すのが面白い。あとところどころにヘミングウェイの執筆の心構え(氷山理論)や小説の批評が書かれていて、読むのがすごく楽しい。原稿がなくなったことや、競馬にはまっていたことなど新しい一面を知ることができる。

 

 

ミッドナイトインパリ

youtu.be

 

 

輝かしい1920年代のパリを描いた『移動祝祭日』を下敷きにした映画がウディ・アレン監督によって撮られている。その映画は『ミッドナイト・イン・パリ』。作家志望の主人公・ギルが真夜中のパリにタイムスリップするという話だ。映画の中でヘミングウェイの『移動祝祭日』が少し触れられる。『移動祝祭日』で描かれたような芸術が花開いている1920年代のパリが描かれていて、観ていてワクワクする映画だった。ヘミングウェイやフィッツジェラルドなど出てくる芸術家たちが本物に似ていて、本当に1920年代のパリにタイムスリップした気分になる。とくにダリは凄く似ていて、会話のシーンは笑ってしまった。あとルイス・ブニュエルに映画のアドバイスをするところが面白い。『皆殺しの天使たち』が観たくなってくる。

 

ロマンチックなコメディ映画とも見て取れるこの『ミッドナイトインパリ』だが、人生に関する深い示差を与えてくれる。1920年代のパリにタイムスリップしたギルはそこでアドリアナに恋をする。主人公のギルは1920年代が素晴らしい時代だと考えている。しかし、1920年代に住むアドリアナにとってはいいように思えず、むしろ19世紀末の時代の方がいいとかんがえている。そう、過去はいつだって美しい。ギルがつぶやく下の言葉は人生の本質を突いているのではないか。

 現在って不満なものなんだ。それが人生だから。 

現在から振り返る過去は多かれ少なかれ美化されているもの。いつでも未来は不安なもので、今は苦しく、過去は甘美な郷愁に満ちている。ヘミングウェイが『移動祝祭日』の中で描いたパリもどこか甘美な郷愁を帯びている。

 

ミッドナイト・イン・パリ(字幕版)

ミッドナイト・イン・パリ(字幕版)

  • オーウェン・ウィルソン
Amazon

 

  

再び脚光を浴びた『移動祝祭日』

withnews.jp

あまりメジャーな作品とは言えないヘミングウェイの『移動祝祭日』だが、ある事件をきっかけに注目を集めることとなる。その事件とは、パリ同時多発テロ。多くの命が奪われた痛ましい事件だ。テロの後この『移動祝祭日』は抵抗のシンボルとなった。あるおばあちゃんへのインタビューがきっかけとなって、フランスではベストセラーとなっている。生き生きと描かれたパリの日常風景がフランス人の心に響いだろう。『移動祝祭日』の章のタイトルにあるようにパリに終わりはない。

 

 

パリに終わりはない

 パリには決して終わりがなく、そこで暮らした人の思い出は、それぞれに他のだれの思い出ともちがう。私たちがだれであろうと、パリがどう変わろうと、そこにたどり着くのがどんなに難しかろうと、もしくは容易だろうと、私たちはいつもパリに帰った。

 生き生きと描写されるパリの風景はとても魅力的で、パリに行ってみたくなる。妻・ハドリーとの生活は微笑ましく、読んでいると心が温かくなる。文章からは妻・ハドリーへの愛が感じられて、この『移動祝祭日』の主人公はハドリーとも思えてくる。結局のところ、ヘミングウェイはハドリーと別れてしまうこととなる。晩年のヘミングウェイはハドリーとの愛おしい日々を懐かしんで書いたのだろうか。

ミッドナイトインパリでも描かれていることだが、誰にとっても過去は美しく魅力的なものだ。誰にとっても青春時代は特別なもので、それぞれの「移動祝祭日」になる。ヘミングウェイにとってはそれがパリの修業時代だった。上に引用した文章がすごく印象的だ。最初から読むのではなく、折にふれて適当にページを開いて文章を楽しみたくなる本だな。『移動祝祭日』は甘美なノスタルジーに包まれた名作だ。