日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

雨男・雨女についてのあれこれ

僕は雨男です。雨宿りしたら雨が止むのですが、外にでるとまた雨が降ってくる。家から出たタイミングで雨が降り出すのはしょっちゅうあります。イベント事の幹事をすると天気が悪くなり、挙げ句の果てに家から出すなと言われる始末。駅について外にでると雪が降ってきたことも。雨だけじゃなく雪にも対応してるのか。雨男という自覚はあるのですが、傘を持つのが嫌いで折り畳み傘を携帯してないのでよく雨に濡れます。

 

そんなこんなで、雨男なので時たま雨男・雨女についてよく考えます。「雨男・雨女って科学的に根拠があるのか⁉︎」統計とかとったら面白い結果が出るんじゃないかなと思ってます。僕は雨を引き寄せる雨男・雨女というのは、記憶の改竄によって生まれるものだと思ってます。個人的な印象ですが、雨男・雨女と言われる人はネガティブな人が多いなと。ネガティブな人は、ついてないことがあるとそのことが強く印象に残って、運が良かったことを忘れてしまい、あたかも悪いことしか起こっていないと思ってしまうのではないでしょうか。僕も、雨に降られなかったときもあるのですが、雨が降ってきたときの方がよく覚えていて、あたかもいつも雨しか降っていないと感じてしまいがちです。雨男・雨女とは運良く雨が降らなかった時もあるが、結局雨が降った時のことしか覚えていないみたいなことではないでしょうか。被害妄想みたいな感じですね(笑)

 

昔友人に「雨男だったら、雨乞いせずに雨を降らせれるから、昔だったら絶対奉られてたな。卑弥呼みたいになれたわ」と言ったら、「雨を降らせるだけで、止ませることができなかったら意味なくね。コントロールできるからいいんやろ。降らせるだけなら、逆に疎ましがられるやろ」と言われました。確かに。

 

そういえば、雨男・雨女をモチーフにした小説、映画ってあんまりないな。僕が知ってるのは伊坂幸太郎の『死神の精度』ぐらいです。でもあれは死神だったな…やっぱり雨男にいいイメージがない。

 

以上、雨男・雨女についてのあれこれでした。

 

死神の精度 (文春文庫)

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