日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

ストリートからモードへの転換期 BALENCIAGA 2019ssを読み解いてみた

ストリートからモードへの方向転換をみせたバレンシア


BALENCIAGA SUMMER 19

 会場全体に映像作品を流し、近未来的な演出をみせた2019ssのバレンシアガ。今回のショーは、ストリートの次のトレンド、ファッションの近未来を示唆する内容だった。ストリートブームを牽引してきたバレンシアガは、ファッションの近未来を見据えていた。ファッションの近未来とは、モードのリバイバル。2018awぐらいから徐々にシフトしていた感じはあったが、この2019ssでトレンドを一気に変えにきた印象を受けた。今回のバレンシアガは以前ほどヴェトモン色が強くなく、どちらかというとバレンシアガの伝統に基づいたデザインになっていた。

 

 モードを前面に押し出した2019ss

もうそろそろストリートブームが頭打ちになることを見越してか、デムナ・ヴァザリア率いるバレンシアガは、セットアップやクチュールを前面に押し出したショーを展開した。モードのリバイバルを感じさせるような内容だった。2018awのバレンシアガはこれまでのストリートスタイルにバレンシアガの伝統を組み合わせたようなコレクションだった。それまでのバレンシアガはヴェトモンと同じようなスタイルだったけれど、2018awは、デムナ・ヴァザリアにとっての「バレンシアガ像」が確立されているように感じた。さらに、今回の2019ssでは大幅にモード寄りにシフトしている。2018awのような多重レイヤードはなく、シンプルなルックが多い印象を受けた。デムナの十八番ともいえるビックシルエットのシャツも登場したが、以前ほどヴェトモン色は強くなかった。肩が角ばっているジャケットなど、新しいシルエットのセットアップが多く登場し、クチュールを現代的に解釈したドレスなど、バレンシアガの歴史に紐づいたコレクションが展開された。個人的には、ジャケットの肩にラベルがついているのが凄く面白いなと思った。

 

 

 

ダッドスニーカーの時代は終わり!?

2019ssのバレンシアガで一番意外だったことは、スニーカーが一つも発表されなかったことだ。ルックのほとんどが革靴だった。デザイナーがデムナに変わってから、バレンシアガはスピードトレーナーやトリプルSなどのスニーカーを流行らせてきた。とくにトリプルSは人気が高く、この靴からダッドスニーカーのブームが始まったと言っても過言ではない。2018awでもバレンシアガはtrackという靴を発表している。(ちなみに、trackの見た目は、ものすごく瞬足に似ている。)バレンシアガの影響もあってか、ルイヴィトンはアークライトという靴を発表しているし、グッチもダッドスニーカーを発表している。2018awではスニーカーを使ったルックは少なかったが、まさか今回一つもスニーカーを発表しないとは思っていなかった。ダッドスニーカーの時代は終わりだなとしみじみと感じた。ダッドスニーカーって、トレンドという色眼鏡を外してみれば、ただのダサい靴にしか見えない(本音)。熱狂があったから、履いていてもカッコいいという風潮があったけれど、トレンドが過ぎると。プレ値もさがるだろうな。トレンドに関係なく、ダッドスニーカーのデザインを気に入って買った人ならいいと思う。トレンドが過ぎても自分が着たいものを着たらいいと思う。僕自身、カラーのトリプルSはそんなに好きじゃないけれど、黒一色のトリプルSは凄く好きだ。細いスキニーとかとあわせてみたい。ただ、「流行り」だから、ここ最近ダッドスニーカーを買ったひとは悲惨だなと思う。別にダッドスニーカーを否定している訳ではなくて、トレンドに関係なくダッドスニーカーが好きな人は、自分のファッションを貫いてほしい。むしろ、トレンドに流されずに自分を貫く姿勢は凄くカッコいいと思う。さらに最近プレ値で買った人には同情したくなる。トレンドという魔法ででかっこよく見えたけれど、流行りが過ぎたらただのダサい靴だから。要するに、自分なりの考えがなく、トレンドに流されるのはかっこ悪いなと思った。これまでトレンドの移り変わりを論じていたのに、言うのもなんやけど。やっぱり、自分の着たい服を着るのが一番だな。

 

 

 

これからのバレンシアガが楽しみだ

僕自身は正統派モードが好きなので、クチュールを現代的に再構築した今回のバレンシアガのコレクションは気にいっている。財政的に、買えるかどうかは別だけど。このバレンシアガといい、バーバリーセリーヌといい、本格的なモードのリバイバルを感じた2019ssだった。これからのトレンドが楽しみだ。

 

「Céline」から「CELINE」へ  エディによる新しいセリーヌの始まり

エディによる新生「セリーヌ

www.youtube.com今回の2019年春夏のパリコレクションで最も注目を集めていたのはエディ率いる新生セリーヌだろう。様々な期待や不安が渦巻く中、パリのオテル・デ・アンバリッドでセリーヌのショーが発表された。この会場は、エディがSAINT LAURENTの14-15年秋冬メンズ・コレクションを発表した場所でもある。大方の予想通り、ショーで示されたのは、前任のフィービー・ファイロの築き上げてきた「Céline」ではなく、エディ色が強い「CELINE」だった。やっぱり、エディはエディだった。ゆったりとした服がトレンドの中でも、スリムなパンツ(サンローランの時よりはゆったりしているような気がする)、ナロータイ、細身のテーラードジャケットなど、エディの十八番デザインが全開のショーになっていた。ここまで自分のスタイルを貫けるのは単純にすごいと思う。けれどもこれはセリーヌなのだろうか?最初に観たときにはエディ期のサンローランと見間違ってしまった。まちがって昔のコレクションのやつを見てしまったのかな、と。しかし、見たルックは昔のサンローランではなく、確かに2019ssのセリーヌだった。昔のフィービー・ファイロのセリーヌが好きな人は、離れていくだろうな。僕はファッション業界の人ではないから踏み込んだことは言えないけれど、ファッションが好きな一般人として今回のセリーヌの感想について書こうと思う。

  

 

「Céline」から「CELINE」へ

front-row.jpエディがセリーヌのクリエイティブ・ディレクターに就任するというニュースを聞いたとき、僕は単純に嬉しかった。僕はエディのデザインが好きだったからだ。サンローランの時は買えなかったから、今回こそは絶対に買うぞと。エディのセリーヌを凄く楽しみにしていたけれど、気になる点が一つあった。それは、エディのセリーヌをイメージすることは難しかった点だ。今までのセリーヌに対する個人的な印象は「優雅なマダムのイメージ」だったから、エディのスタイルとセリーヌがあうのか分からなかった。まあ、いつものエディのスタイルを貫くんだろうなと思っていたけれども、心の片隅では今までのセリーヌのエッセンスも組み合わせていくのかなとも思っていた。しかし、予想以上にエディはエディだった。ショーで発表されたのは、タイトなジャケットや、スキニー寄りのパンツ、ナロータイといったいつものエディスタイルだった。このセリーヌの変化を自分的に例えると、サザエさんのフネの声だけが、エヴァのカヲル君の声に変わっていたみたいな感じだ。カヲル君の声も良いけれど、フネさんにはあわないということだ。あんまり、伝わりませんかね。

 つまらない比喩はさておいて、この変化には伏線があったように思う。まず一つはロゴの変化だ。エディはセリーヌのロゴを、1930年代から使われていた文字デザインにした。フランス語のアクセント符号がついた「é」が普通の「e」に変わり、文字も大文字になり、アクセントもフランス語訛りのないシンプルな「セリーヌ」になるらしい。さらには、公式SNSでは過去の投稿をすべて削除し、アカウントも一新させた。すごい徹底ぶりだ。

 セリーヌ難民になることを恐れてか、セリーヌの駆け込み需要があったようだ。

www.wwdjapan.com

セリーヌ」直営店を構える百貨店各社に1~6月の販売状況を聞いたところ、「売り上げは前年を大幅に上回った」という声が大勢だった。同時に、顧客からは「今後はどこで服を買えばいいの?」といった戸惑いの声も聞こえてくる。

やっぱり、前の顧客は離れていきそうだ。マルジェラのデザイナーがジョン・ガリアーノになったときを思い出す。

  僕自身はエディのファンだからセリーヌは買うと思う。けれども、今までのセリーヌの要素も組み入れ、表現の幅を広げたエディも見てみたかった気がする。エディは自分のブランドを持ってもいいのに。

 

 

 

世間の反響はどうなのか?

個人的な意見はここまでにして、色々な媒体から出ているセリーヌについてのコメントについてまとめてみようと思う。やっぱり、賛否両論が激しいようだ。

 

WWDJAPAN

www.wwdjapan.comこの記事は大方の人の思っていることを代弁しているんじゃないだろうか。

フィービー・ファイロ(Phoebe Philo)による「セリーヌ」をそのままに、とは言わない。が、多くのフランス人が持つ「セリーヌ」のイメージは、パリ16区やアベニュー・フォッシュ近辺に暮らし、百貨店ル・ボンマルシェで買い物をするような洗練された上流階級の女性のイメージだ。エディの「セリーヌ」はクチュールワークという意味ではラグジュアリーだが、優雅なマダムのイメージからは遠い。

 のところなんかは頷きながら読んでいた。このコレクションを見たときの心のモヤモヤを上手く言語化してくれている記事だ。未読の人は是非みてほしい。

 

 

 The NewYork Times

www.nytimes.com

こちらは批判的な感じだ。

 

 

GQ JAPAN

gqjapan.jpこちらにはエディ・セリーヌに好意的なコメントが寄せられている。結局のところ、今回のセリーヌを好意的に捉えるか否かは、エディが好きか否かによると思う。以前の「Céline」が好きな人は、「CELINE」から離れていってしまうんじゃないかな。

 

 

www.youtube.comYouTubeにはこんな動画が上がっていた。英語が良く分からないので内容がいまいちわからないのが辛い。賛否両論があるけれども、やっぱり、今回のセリーヌへの関心は高かったんだな。

 

 

僕自身はこのコレクションは好きだ

僕自身は昔のセリーヌに思い入れがない。むしろ、エディのファンだ。高校生ぐらいからエディの存在を知り、いつかはエディスタイルの服を着てみたいと思っていた。エディがサンローランにいた時は、大学生ぐらいのときで、さすがに手が届かなかった。でも今回のセリーヌなら、社会人の給料で買えるから、買うと思う。しかし、昔のセリーヌのファンなら買わないよなと思う。昔の「Céline」が好きな人はこれからどこのブランドを買うのだろう?ジル・サンダーとか?確実に言えることは、もう昔の「Céline」は存在しない。あるのはアクセントがなくなって大文字になった「CELINE」だ。新しい「CELINE」はサンローランの時のように新しい顧客を開拓できると思うし、僕は新しいセリーヌに期待している。ただ、今までの「Céline」が好きな人は寂しいだろうなと思う。常連のレストランがなくなってしまうような。

 ブランドの方向性にデザイナーが合わせるべきなのか、ブランドの方がデザイナーに合わせるべきなのか?今回のセリーヌのショーは、ブランドの歴史とデザイナーの関係性ついて考えさせられるコレクションだった。エディ率いる新生「CELINE」は次のコレクションではどんな服を発表するのだろう?

 

www.celine.com

そうだ、村上春樹を読もう!初心者におすすめの村上春樹作品

 

今や日本を代表する作家・村上春樹。その人気は日本にとどまらず、世界中で読まれている。洒脱な表現や比喩と、巧みなストーリーテリング、魅力的な謎解き要素など魅力が詰まった村上春樹作品。僕も高校生の頃から村上春樹作品の魅力に取りつかれ、大体の作品は読んできた。最近ではノーベル文学賞の候補だとかなんだかで騒がれたり、新ノーベル文学賞候補に選出されるもそれを辞退したりと話題が絶えない村上春樹だが、読んだことがない人も多いんじゃないだろうか。

これから村上春樹を読むという人のために、初心者におすすめの小説をタイプ別にまとめてみた。ぜひ村上春樹の小説を楽しんでみて!

 本好きの人:『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』

本好きの人におススメなのが、『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』だ。いや、本好きに関わらず色んな人に読んでもらいたい一冊だ。ちょっと長いので全く本を読まない人にはハードルが高いかもしれないけれど、とにかく面白いので読んでみてほしい!この『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』は村上春樹の代表作として言われていて、『ノルウェイの森』のように性描写が多いわけではないから万人に薦めたい。『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』というタイトルからしてワクワクしませんか?

この本を一言で表現すると、大人のための静謐なファンタジー。内容としては、「世界の終り」と「ハードボイルドワンダーランド」の二つの世界が交互に展開していき、最後には二つの世界がつながっていくという風になっている。「計算士」や「組織(システム)」、「記号士」、「工場(ファクトリー)」など謎めいた組織が暗躍していて、謎めいた組織は何なのが気になってページをめくる手が止まらなくなる。この作品は、読者を日常から離れた不可思議な世界に連れていってくれ、読書でしか味わうことのできない体験が待っている。
 
 

 本をあまり読まない人:『パン屋再襲撃』

普段本を読まない人なら、「いきなり長編小説を読むのはキツい...」と思う人も多いはず。そんなあなたにおススメなのは短編集の『パン屋再襲撃』。村上春樹は『ノルウェイの森』や『ねじまき鳥クロニクル』、『1Q84』などの長編小説で有名だけれども、短編小説も精力的に書いている。短編集の中でおススメなのが『パン屋再襲撃』。村上春樹作品の特徴であるシュールな展開やユーモアあふれる文章、喪失というモチーフがコンパクトに楽しめる。

表題作「パン屋再襲撃」はとある夫婦がパン屋を襲おうとする話だ。村上春樹作品に特有のシュールなストーリーを楽しめる。村上春樹の面白いところの一つに比喩の巧みさがあるが、「パン屋再襲撃」での空腹の比喩は本当に秀逸で唸らされる。「パン屋再襲撃」はイラストレーターとコラボして、『パン屋を襲う』という大人向けの絵本となっているのでそちらも是非!

別の収録作の「象の消滅」は村上春樹の短編小説の中でも名作と言われている。また、『ねじまき鳥と火曜日の女たち』という、長編『ねじまき鳥クロニクル』の原型も収録されているので、この短編集から長編小説を読むのもあり。

 

 

サクッと村上春樹を楽しみたい人:『カンガルー日和』

短編小説よりももっとサクッと村上春樹を楽しみたいという人におススメなのが『カンガルー日和』という短編集。この『カンガルー日和』に収録されているのは、短編とショートショートの間ぐらいの長さの小説なので、凄く読みやすい。表題作の「カンガルー日和」は高校の教科書にも採用されたことがあるので、読んだことがある人も多いはず。

この短編集に収録されている「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」は深い余韻を残すの名短編だ。タイトルが秀逸で、理想の女性に出会うことがテーマになっている。ちなみに、この短編は村上春樹好きで知られる新海誠監督の大ヒット映画『君の名は。』のモチーフになっていると言われている。また、「4月のある晴れた朝」は『1Q84』の原型と言われているので、この短編集から『1Q84』に進むのもおすすめ。

 

 

ミステリー的展開が好きな人:『1Q84』

「 謎に引き込まれてページをめくる手が止まらない体験をしたい」あなたには、『1Q84』がおすすめ。この『1Q84』は大ベストセラーとなり、社会現象にもなった。今の日本文学でここまで売れる作家は村上春樹ぐらいだろう。村上春樹作品が面白い理由の一つに、謎解きの要素が多く出てくることがあると思う。この謎は作中で解決しないことが多いけれど、自分なりに小説を読みこんで謎解きをするのが楽しい。

『1Q84』には、「リトルピープル」や「ふかえり」、「空気さなぎ」、「二つの月」などこれでもかと、魅力的な謎が出てくる。謎に引き込まれて、ページをめくる手が止まらない読書体験が出来る。『ねじまき鳥クロニクル』と内容的にリンクするところがあるので、『1Q84』を読んだ後には『ねじまき鳥クロニクル』を読むのがおススメ。

 

 

村上春樹の最高傑作を読みたい人:『ねじまき鳥クロニクル』

とにかく最高傑作を読みたいと思う人には、『ねじまき鳥クロニクル』がおススメ。何が村上春樹の最高傑作かというのは意見の分かれるところだと思うけれど、個人的には『ねじまき鳥クロニクル』は最高傑作だと思っている。(『ノルウェイの森』と『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』、『羊をめぐる冒険』、『ダンスダンスダンス』あたりも)日本だけではなく、海外でも広く読まれていて評価が高い。海外に翻訳された村上春樹の作品に書かれている作家紹介にも『ねじまき鳥クロニクル』が代表作と書かれていることが多い。

妻の失踪というスケールの小さい話から、歴史や暴力などの壮大なテーマに繋がっていくのは圧巻。ストーリーテリングもさることながら、文章も素晴らしく、描写に迫力がある。

 

 

 知る人ぞ知る作品から読み始めたい人:『図書館奇譚』

メジャーな作品ではなくて、マイナーな作品から攻めていきたいというあなたには『図書館奇譚』がおススメ。この『図書館奇譚』はメジャーな作品じゃないと思うけれど、村上作品ではお馴染みの「羊男」というキャラクターが出てきたり、超現実的な展開であったり、異世界に行くストーリーであったりと、村上春樹のエッセンスが詰め込まれている。村上春樹版の「不思議な国のアリス」のような小説なので、ファンタジーや不思議な人が好きな人なら面白く読めると思う。

この『図書館奇譚』には、カンガルー日和に収録されている『図書館奇譚』、佐々木マキの絵とコラボした『ふしぎな図書館』、カット・メンシックのイラストと組み合わせた『図書館奇譚』の3つのバージョンがある。この3つを読み比べると通っぽい!?

 
 

村上春樹の別の一面を知りたい人:『グレート・ギャツビー』

村上春樹の、小説家とは別の一面を知りたい人におススメなのが、村上春樹が翻訳した『グレート・ギャツビー』。村上春樹は小説だけではなく、エッセイも書いたり、海外文学の翻訳を手掛けてもいる多角経営的な作家なのだ。

村上春樹が翻訳した中でおすすめなのがスコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』だ。この『グレート・ギャツビー』は村上春樹が影響を受けた作品で、『ノルウェイの森』にも出てくる。『グレート・ギャツビー』は日本人にはなじみがないかもしれないけれど、アメリカ文学を代表する作品で、20世紀最高の小説と言われている。ぜひ読んでみてほしい。特に最後の文章が、今まで読んだ小説の中で一番といえるほど美しい。ぜひ一読あれ。

 
 

村上春樹をこれから読んでいこうと思う人:『風の歌を聴け』

「村上春樹をこれからしっかりと読んでいくぞ!」というあなたには、デビュー作の『風の歌を聴け』がおススメ。そして『1973年のピンボール』、『羊をめぐる冒険』の青春三部作と、その続きの『ダンス・ダンス・ダンス』と読んでいくことをおすすめする。『風の歌を聴け』は中編ぐらいの長さで、物語というよりかは散文的な小説だ。青春三部作とは「僕」と「鼠」が主人公の青春小説だ。

 
 
 
 
 
色々紹介してきましたが、百聞は一読にしかず。ぜひ、現代日本文学を代表する村上春樹作品を読んでみて!やれやれ

「第三の新人」って知ってる?

「第三の新人」とは?

第三の新人」という文学史上の用語がある。高校生の時に国語の便覧に書いてあるのを見た人や、文学史の一環として覚えさせられた人もいるかもしれない。

第三の新人とは、無頼派・新感覚派のように、戦後文壇に登場した小説家たちにつけられたグループ名だ。厳密な定義はないのだが、安岡章太郎、吉行淳之介、小島信夫、庄野潤三といった作家が第三の新人に含まれる。遠藤周作も含まれることもあるが、他の第三の新人と作風が少し異なるかなと個人的には思う。

この「第三の新人」というネーミングは文芸評論家の山本健吉がつけたものだ。当時評判だった「第三の男」というアメリカ映画が元となったと言われている。

この第三の新人たちの作風は、私小説テイストなところに共通点がある。「第三の新人」たちは互いに仲が良く、よく交流していたことは確かなようだ。

現在、第三の新人の本は書店に置いてあることが少ない。やはり戦前の文豪と比べると知名度が劣るからだろうか。街の本屋に置いてあるのは遠藤周作ぐらいだろう。大きい書店とか恵文社のようなセレクト書店に行かないと第三の新人の本が置いていない。

今では、知名度が低い「第三の新人」だが、小説が劣っているというわけではない。知名度が低いというのが信じられないほど、その小説群は素晴らしいのだ。

 

近年では保坂和志が小島信夫の再評価を積極的に行っている。また、村上春樹は「第三の新人」の小説を読み解いた『若い読者のための短編小説案内』を出版している。

大江健三郎や三島由紀夫のような派手さはないかもしれないが、秀作が揃う「第三の新人」たちを紹介していこうと思う。

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「左翼」ではなく「サヨク」 / 『優しいサヨクのための嬉遊曲』 島田 雅彦

 「サヨク」を描いた島田雅彦のデビュー作

 僕は「左翼」が流行った時代を知らない。生まれたときには冷戦は終わっていたし、ソ連はロシアになっていた。日本でも左翼運動が盛り上がったらしいけれど、歴史の教科書や小説ぐらいでしか見たことがない。『僕って何』、『されどわれらが日々』、『赤頭巾ちゃん気を付けて』、『ノルウェイの森』など、激しい学生運動が描かれた小説はいくつかある。けれども、『優しいサヨクのための嬉遊曲』は少し違う。主人公は左翼的な学生団体に入っているが、革命を目指すとか言った運動をしている訳ではない。大学生がサークル活動を楽しむかのような感覚で左翼活動をしている。主人公の千鳥姫彦は熱心な革命運動を起こす「左翼」ではなく、家庭的な「サヨク」なのだ。

 

そもそも左翼とは?

そもそも左翼とは何だろうか?

左翼とは、政治においては通常、「より平等な社会を目指すための社会変革を支持する層」を指すとされる。「左翼」は急進的、革新的、また、革命的な政治勢力や人を指し、社会主義的、共産主義的、進歩主義、急進的な自由主義無政府主義傾向の人や団体を指す。

Wikipediaから引用するとこんな感じだ。ざっくりいうと、社会主義共産主義を信奉している人のことを左翼という。日本でも激しい社会主義運動があったが、その激しさは 『優しいサヨクのための喜遊曲』にはない。作中で千鳥姫彦は自らのことを「革命家」ではなく、「変化屋」だと言う。家庭を大事にする「変化屋」は保守化した「左翼」ともいえる。

 

青春小説を装ったポルノ小説

サヨクの面が注目されがちな「嬉遊曲」だけれども、メインストーリーは千鳥姫彦と逢瀬みどりとの恋愛模様だ。二人の恋愛はどこか作り物めいていて、内面がなく軽薄な感じがする。千鳥は悩むことなんかないように見えるが、最後の最後にみどりに見抜かれる。「考えるっていうのはなやむことなのよ。悩んだり、苦しんだりしたくなかったら考えない方がいいんですって」

あとがきで、著者はこの小説を「青春小説を装ったポルノ小説」と評している。

 

 

 

優しいサヨクのための嬉遊曲 (新潮文庫)

優しいサヨクのための嬉遊曲 (新潮文庫)

 

 新潮版『優しいサヨクのための嬉遊曲』の文庫本は絶版になっている。

 河出文庫の『島田雅彦芥川賞落選作全集 上』に再録されているから、新刊で買いたいならこちら。

「村上春樹が新ノーベル文学賞最終候補」について思うこと

村上春樹が正式に候補に!?

www.jiji.com

もはや秋の風物詩ともいえる「村上春樹はノーベル文学賞を受賞するのか」祭り。ハルキストたちがカフェに集まって、今年こそは受賞するとインタビューに答えている風景は見慣れた景色だ。そして、村上春樹が受賞を逃し、落胆するハルキストたちを観るまでがテンプレート。毎年毎年良く騒げるなと思う。やれやれ。そもそも村上春樹がノーベル文学賞候補かどうかはわからない。芥川賞や直木賞と違って、ノーベル文学賞は候補作家を公表したりしない(安部公房のように、作家の死後にノーベル賞候補だったといわれることはあるが)。

 

村上春樹がノーベル文学賞の候補と言われている根拠としては、1)村上春樹が海外で広く読まれており、その文学作品に普遍性がある、2)フランツ・カフカ賞などの海外の文学賞を受賞している、の二つじゃないかなと思っている。けれども、確実にノーベル文学賞候補とは言えない。なぜなら候補作家は発表されないから。日本では「ノーベル文学賞終身名誉候補」みたいな扱いになっているが、今回は本当に候補になった。しかし、普通のノーベル文学賞候補ではない、新ノーベル文学賞候補なのだ。

 

今回ノーベル文学賞は選考委員が色々と不祥事を起こしたために、受賞者が発表されなくなった。来年にまとめて発表するようだ。記事によると

今年のノーベル文学賞の発表が見送られるのに伴い、スウェーデンでこれに代わる新たな文学賞が今年に限りつくられることになり、最終候補に村上春樹氏ら4人が選ばれた。地元紙が29日報じた。

 新文学賞はスウェーデンのジャーナリストや作家らが中心となって新たに設立した団体「ニューアカデミー」が選考。10月12日に受賞者を発表するという。

ようやく正式な候補になったのである。

 

気になる他の候補は?

他に最終候補に残ったのはベトナム生まれのカナダ人作家キム・チュイ、フランス海外県グアドループ出身のマリーズ・コンデ、英作家ニール・ゲイマンだ。キム・チュイは聞いたことがないので良く分からない。マリーズ・コンデはクレオール文学で有名だったと思う。ニール・ゲイマンはSF小説や映画の脚本、アメコミの原作を書いている。ニール・ゲイマンは映画『パーティで女の子に話しかけるには』の原作も書いていて、候補作家の中では大衆文学寄りじゃないかな。個人的にはミラン・クンデラやトマス・ピンチョン、ポール・オースター、ジョン・バースが候補に入っていないのが不思議だ。

 

今回は盛大な村上春樹祭りになりそうだ

正式な候補になったこともあり、今年の「村上春樹祭り」はかなり盛り上がるんじゃないかなと思う。気になるのが、この新ノーベル賞を受賞すると、もともとのノーベル賞は受賞できなくなるのだろうか?気になるところである。村上春樹は好きなので受賞してほしい。村上春樹祭りはまだまだ続きそうだ。やれやれ。

 

 

 

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美禰子という謎 / 『三四郎』 夏目 漱石

恋愛のアマチュア・三四郎の恋

夏目漱石の小説には恋愛小説が多い。しかも、どれも一筋縄ではいかない恋愛小説だ。『それから』では三角関係の果ての不倫が描かれているし、『門』では略奪婚のその後、『こころ』では三角関係の果ての悲劇を描いている。『それから』、『』と合わせて前期三部作と言われる『三四郎』も、ハッピーエンドではなくビターエンドな三四郎の恋愛の顛末が描かれている。この『三四郎』を読んでまず思ったのが、いつの時代も草食系男子がいるんだなということだ。

この『三四郎』のメインストーリーは、東京大学に入学するために三四郎が上京して、そこで知的な女性・美禰子に恋をするというものだ。舞台は近代化が急速に進む明治時代の東京。『三四郎』の中では、日本の近代化は表面しかなぞっておらず、日本の根本は変わっていないというふうに描かれている。田舎から出てきたばかりの三四郎と、東京に住む都会的な女性の美禰子。この二人は釣り合うのだろうか?

 

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