日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

小説とは何か?/ 『1000の小説とバックベアード』 佐藤 友哉

佐藤友哉なりの小説賛歌

 

佐藤友哉三島由紀夫賞受賞作。ラノベと純文学のハイブリッドみたいな作品。小説とは何か、何のために小説を書くのかということテーマにしたファンタジー。随所に佐藤友哉らしい言い回しがあり、はまる人にははまる。1000の小説や、バックベアード、片説、図書館などの設定にも心惹かれる。「小説を書く気持ちで書くとそれは小説」強引であるが、魅力を感じることば。これがこの小説が提示する答えなのかもしれない。また、最後の場面は、ミイラと化した「日本文学」に対する佐藤友哉の所信表明のように思えた。

 

 

1000の小説とバックベアード (新潮文庫)

1000の小説とバックベアード (新潮文庫)

 

 

ゴドーにタタールにシルト/世界の待ちぼうけ小説

待ちぼうけ小説とは

 

待ちぼうけ小説とは、僕が勝手に呼んでいる名前だけど、待っている人やものがやってこないことを主題にした小説のことだ。待っているのに来ない、いつ来るか分からない。気になる女の子をデートに誘ったけど、やってこないときに読みたい本ナンバーワンだ(絶対に違う)。冗談はさておいて、待つことの不条理を扱った小説・戯曲を紹介していきたい。

 

ゴドーを待ちながら

ゴドーを待ちながら (白水Uブックス)

ゴドーを待ちながら (白水Uブックス)

 

 言わずと知れたベケットの戯曲『ゴドーを待ちながら』。すべての待ちぼうけ小説はここからうまれた。ひたすらにゴド―を待ち続けるという不条理劇。

 

 タタール人の砂漠

タタール人の砂漠 (岩波文庫)

タタール人の砂漠 (岩波文庫)

 

 こちらはブッツァーティの小説。この小説ではいつ来るか分からない敵を待ち続けている。

 

シルトの岸辺

シルトの岸辺 (岩波文庫)

シルトの岸辺 (岩波文庫)

 

 戦いの膠着状態がひたすらに続く。

 

夷狄を待ちながら

夷狄を待ちながら (集英社文庫)

夷狄を待ちながら (集英社文庫)

 

 タイトルがゴド―のオマージュになっている。

ここではないどこかへ / 『アズミ・ハルコは行方不明』 山内 マリコ

地方都市に住む人々の鬱屈を描き切った傑作

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『パリ行ったことないの』が凄く良かったので、同じ著者の山内マリコ作品を読んでみたけど、この『アズミ・ハルコは行方不明』も大当たり。地方都市に住む人々の鬱屈や閉塞感、上辺だけの関係、そして可能性が閉ざされつつある若者の焦燥感などすごく身に染みる内容だった。

固有名詞がポンポン投入されていて、若者が共感できるポップな文体になっている。現実的な話かと思いきや、少女ギャング団というファンタジックな存在も登場する。とにかく、地方都市の閉塞感をみごとに描いている。ここではないどこかへ行きたいと思っている人がこの小説を読むと、深く心をえぐられるだろう

 

アズミ・ハルコの失踪が物語を動かす

物語はアズミ・ハルコの失踪によって大きく動く。第一部ではアズミ・ハルコは登場せず、愛菜・ユキオ・学の三人を主人公にして話が進んでいる。三人は同級生で、ひょんなことから再開する。3人はそれぞれに自意識過剰であったり、自分の可能性が閉ざされてしまうような閉塞感に悩んだりしている。まさに現代の若者の見本市。特に愛菜はメンへラというほどでもないけれど、恋愛体質で恋人に依存してしまう女子で、こんな女子いるよねってなる。ユキオと学はグラフィックアートで人生の閉塞感を打ち破ろうとする。そのグラフィックアートの題材となったのが失踪したアズミ・ハルコだ。

 

二部になってようやくアズミ・ハルコがでてくる。最初は朝井リョウの『桐嶋、部活辞めるってよ』みたいに中心人物が出て来ないのかと思っていた。第二部ではアズミ・ハルコこと安曇春子がなぜ失踪したかが描かれている。上司のセクハラに耐え、単調な仕事をこなす日々が続く。このままでいいのかという焦燥感や、女の人がさらされる結婚へのプレッシャーがリアルに描かれている。現実的なところもあれば、少女ギャング団という空想的な存在も登場してくる。

 

第三部ではそれぞれが閉塞感を打ち破ろうとしていく展開になる。学は警察に連行されるが、それがきっかけで新聞の記事に特集され、アートフェスにグラフィックアートを出店することになる。けれど、結局アートフェスに人が集まらず、地方都市の停滞感を象徴する結果となってしまう。学とユキオは、グラフィックアートで閉塞感を打ち破ることはできなかったのだ。むしろ地方都市の閉塞感に回収されてしまった。一方ユキオに捨てられてしまった愛菜には予期せぬ出会いが訪れる。心が温かくなるラストだった。

 

「アズミ・ハルコ」が意味すること

漢字の安曇春子ではなく、カタカナの「アズミ・ハルコ」は固有名詞では終わらない意味を持っているような気がする。どうしようもない現実から逃げて行方不明となった女たち、地方の閉塞感を打ち破ろうとする女たちを象徴しているように思えてならない。この『アズミ・ハルコは行方不明』は、日本の「アズミ・ハルコ」たちに捧げられた小説だ。

 

 

 

 

 

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日本三大奇書、あるいは第四、第五の奇書

日本三大奇書という言葉は本好きではない人でも聞いたことがあるのではないだろうか。日本三大奇書とは、『ドグラ・マグラ』を筆頭に、日本の推理小説におけるアンチミステリの傑作とされる三つの小説の総称だ。その三つの小説とは『ドグラ・マグラ』『黒死館殺人事件』『虚無への供物』。メタ構造、ペダンチック、ミステリへのアンチテーゼなど独特な雰囲気が醸し出された小説だ。その三大奇書の影響を色濃く受けた第四の奇書『匣の中の失楽』もあって、三大奇書とまとめて日本四大奇書とも言われる。

最近でも第五の奇書と呼ばれるんじゃないかなと思える小説も出てきている。三大奇書とその系譜に連なる問題作ミステリを紹介したい。

 

 

一度は聞いたことがある!?日本三大奇書

まずは三大奇書から紹介したい。

 

読むと気が狂う!?『ドグラ・マグラ』

僕はいったい何者なんですか!?大正末期の九州大学精神科病棟。記憶喪失の青年と彼を見守る法医学教授。青年の脳裏に眠る迷宮入りの怪事件を巡り、精神科教授が謎の死を遂げ、怪奇なる因縁に彩られた殺人事件が次々と巻き起こる。怪奇と幻想の色濃い作風で名高い夢野久作の代表作。

三大奇書で真っ先に名前が挙がるのが『ドグラ・マグラ』だろう。もう、本の表紙からして危ない香りが漂っている。読むと気が狂うと言われている。けれど、『ドグラ・マグラ』を読んだ友人は全員ぴんぴんしているので大丈夫。精神疾患や入れ子構造が合わさって、よくわからないことになってくる。

 

 

ペダンチック過ぎて読み切れない!?『黒死館殺人事件』

 黒死館の当主降矢木算哲博士の自殺後、屋敷住人を血腥い連続殺人事件が襲う。奇々怪々な殺人事件の謎に、刑事弁護士・法水麟太郎がエンサイクロペディックな学識を駆使して挑む。江戸川乱歩も絶賛した本邦三大ミステリのひとつ、悪魔学と神秘科学の結晶した、めくるめく一大ペダントリー。

ミステリーそっちのけで、神秘主義や呪術、暗号学の蘊蓄で満ち溢れている。あまりの蘊蓄の多さに読み通すのが困難になっている。

 

 

 激しい推理合戦が繰り広げられる『虚無への供物』

新装版 虚無への供物(上) (講談社文庫)

新装版 虚無への供物(上) (講談社文庫)

 

 昭和二十九年の洞爺丸沈没事故で両親を失った蒼司(そうじ)・紅司(こうじ)兄弟、従弟の藍司(あいじ)らのいる氷沼(ひぬま)家に、さらなる不幸が襲う。密室状態の風呂場で紅司が死んだのだ。そして叔父の橙二郎(とうじろう)もガスで絶命――殺人、事故?駆け出し歌手・奈々村久生(ななむらひさお)らの推理合戦が始まった。

洞爺丸沈没事故で不運に見舞われた氷沼家で殺人事件が続発する。主人公たちが推理合戦を繰り広げていくのが『虚無への供物』の面白いところだ。各人が推理を披露していくのだが、どんどん衒学的な推理になっていき、最後には混迷を迎える。

 

 

第四の奇書

 

オマージュに満ちた第四の奇書『匣の中の失楽』

三大奇書へのオマージュに満ちたアンチミステリ。第四の奇書と呼ぶにふさわしい小説。

 

 

じゃあ第五の奇書は何?

今では第四の奇書までが定番になっているけれど、第五の奇書と呼ぶのにふさわしい小説はないのだろうか。個人的に第五の奇書候補を以下に上げてみた。まずは「第4'の奇書」とでもいえそうな小説から紹介

 

『匣の中』

探偵小説愛好家グループの中心人物・伍黄零無が謎の言葉を残して密室から消失。その後もグループの一員・仁行寺馬美が書くモデル小説どおりに密室殺人が連続する。衒学的な装飾と暗号。推理合戦の果てに明かされる、全世界を揺るがす真相とは!?新本格の聖典『匣の中の失楽』に捧げる華麗なるオマージュ。

『イニシエーション・ラブ』で有名な乾くるみの小説。タイトルの『匣の中』から分かるように、第四の奇書『匣の中の失楽』を意識した作品となっている。

 

 

 『奇偶』

奇偶(上) (講談社文庫)

奇偶(上) (講談社文庫)

 

 偶然をテーマにした奇書。

 

 

 『綺想宮殺人事件』

綺想宮殺人事件

綺想宮殺人事件

 

琵琶湖畔に佇む壮大な異形建築・綺想宮。四大精霊の呪文と天地創造の七日間を表わす音楽に導かれて起きる連続見立て殺人の真相とは――最後の探偵小説、あるいは探偵小説の最期。

 

 

コズミック 世紀末探偵神話

本格ミステリ史上、最もバッシングを受けた鬼才のデビュー作。メフィスト賞の性格を決定づけ、後の作家に絶大な影響を与えた超問題作。1200の密室で1200人が殺されるという、密室卿を名乗る正体不明の人物からの犯罪予告が届く。1200年間、誰にも解けなかった密室の秘密を知ると豪語する密室卿の正体とは何か。JDC(日本探偵倶楽部)きっての天才にして、名探偵をも超越したメタ探偵・九十九十九が挑む! 

 本格ミステリ史上、最もバッシングを受けたと言われるのが清涼院流水の『コズミック』だ。メフィスト賞がイロモノ作品のための賞と言われるようになった原因でもある。1200の密室で1200人が殺されるという時点で雲行きが怪しい。1200の密室とか、密室のインフレがすごい。登場する探偵も、名探偵をも超越したメタ探偵・九十九十九とあってクセが強い。

 

 

ジョーカー

ジョーカー―旧約探偵神話 (講談社ノベルス)

ジョーカー―旧約探偵神話 (講談社ノベルス)

 

究極の連続不可能犯罪を企む天才犯罪者が、陸の孤島で「幻影城殺人事件」を演出する。作家・江戸川乱歩と同じ本名を持つ富豪が、生涯を賭して築いた幻影城。美しい湖の小島に浮かぶ紅の城は、様々な趣向が凝らされた「異形の館」である。推理作家たちが秘境を訪れる。――老いた探偵が惨劇に引き寄せられた時、舞台は整い、物語が始まる。すべてのミステリの総決算!

 

 

 九十九十九

「苦しさを感じるなら、僕なんて愛さなくていいんだ」 聖書や創世記などの見立て連続殺人を主旋律に踊る、世界をゆるがす超絶のメタ探偵の魂の旅。ダンテの「神曲」をイメージさせる圧倒的なスケール感で迫る。

 

 

ディスコ探偵水曜日

迷子専門の米国人探偵ディスコ・ウェンズデイは、東京都調布市で、六歳の山岸梢と暮らしている。ある日、彼の眼前で、梢の体に十七歳の少女が〈侵入〉。人類史上最大の事件の扉が開いた。魂泥棒、悪を体現する黒い鳥の男、円柱状の奇妙な館に集いし名探偵たちの連続死──。「お前が災厄の中心なんだよ」。ジャスト・ファクツ! 真実だけを追い求め、三千世界を駆けめぐれ、ディスコ!!

純文学のフィールドでも活躍している舞城王太郎の問題作が『ディスコ探偵水曜日』だ。この小説も現代版日本三大奇書を選ぶなら間違いなくランクインするだろう。その内容はとにかく破天荒の一言に尽きる。後半にいくにつれて既存の物理法則が破壊され、壮大なスケールの話になっていく。ゼロ年代を代表するメタフィクションの傑作。

 

 

 『夏と冬の奏鳴曲』

首なし死体が発見されたのは、雪が降り積もった夏の朝だった!20年前に死んだはずの美少女、和音の影がすべてを支配する不思議な和音島。なにもかもがミステリアスな孤島で起きた惨劇の真相とは?メルカトル鮎の一言がすべてを解決する。

麻耶雄嵩の小説というだけですでに問題作なのだけれど、『夏と冬の奏鳴曲』は麻耶雄嵩の中でも最大の問題作だ。作中を彩るキュビズムの衒学的な話といい、小説の構成といい、トリックの馬鹿馬鹿しさといい、奇書に相応しい問題作。特に密室トリックは唖然とするしかなかった。こんなに呆気にとられた密室トリックはないだろう。

最後のカタルシスというか、今までの展開を完全にひっくり返すカタストロフィーは見もの。この本を読んだ10人中9人ぐらいは怒りだしそうだな。ミステリの解答編はカットされているので、ミステリの真相は自分で解釈して見つけないといけないことになっている。解釈サイトをみないとさっぱり意味が分からなかった。

 

 

 天帝のはしたなき果実

勁草館高校の吹奏楽部に所属する古野まほろは、コンテストでの優勝を目指し日夜猛練習に励んでいた。そんな中、学園の謎を追っていた級友が斬首死体となって発見される。犯人は誰か?吹奏楽部のメンバーによる壮絶な推理合戦の幕が上がる!

 

 

神戯-DEBUG PROGRAM-Operation Phantom Proof 』 

神戯-DEBUG PROGRAM-Operation Phantom Proof (講談社BOX)

神戯-DEBUG PROGRAM-Operation Phantom Proof (講談社BOX)

 

深夜、おれが学院の屋上で出会ったのは、重装の美少女だった。トーマと名のる彼女は、愛くるしい転校生と同一なのか?徘徊する白き殺人姫とは、この絶対の美少女なのか?部長、武藤天馬以下学院新聞部の“Operation Phantom Proof”のさなか謎は、雪原の死霊館での忌まわしき大量殺人事件へと至る。第2回講談社BOX新人賞Powers受賞作。

 

「意識高い系」と李徴の共通点 / 『山月記』 中島 敦

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 世の中の人は『ライ麦畑でつかまえて』、『人間失格』、『山月記』のどれかには深く心を揺さぶられるのではないかと思っている。どれも、いわゆる中二病といわれそうな内容だ。

でも、人って中二病的なものを心にいくらか抱えて生きていくんじゃないかなって思う。僕の心に一番響いたのは中島敦の『山月記』だ。今まで読んだ小説のベスト3を決めるなら、間違いなく『山月記』が入るだろう。

高校生の時、教科書に載っていた『山月記』を読んだとき、李徴は自分のことだと思った。

 

『山月記』は『人虎伝』を題材にした中島敦の小説だ。夏目漱石の『こころ』と並んで、高校の教科書の定番教材である。なので、読んだことがある人が多いんじゃないかなと思う。

高すぎるプライドと折り合いをつけることが出来ず、虎になってしまった李徴に共感した人も多いはずだ。

 

僕も気が付けば李徴のように臆病な自尊心を飼い太らせてしまっていた。大した努力をしてきた訳でもないのに、自分は何か特別なんだと思っていた。自分が成功した未来像を描いてみるも、それをかなえるための努力は何一つしてこなかった。自分の才能が欠如していることに気が付きたくないから。自分のプライドを守りたいから。自分が傷付きたくないから。

『山月記』で描かれる李徴のように。僕も李徴のように、高すぎるプライドに苛まれて、虎になってしまうのが怖かった。自分のプライドと折り合いをつけるのは難しいことだ。虎になってしまうと思うたびに、『山月記』を読み返してきた。その言葉の一つ一つが心にしみた。

 

 

 「意識高い系」人と李徴の共通点

現代で李徴のように虎になってしまった人が、いわゆる「意識高い系」の人だと思っている。自分は特別なんだという自負に満ちていて、承認欲求が強いけれど、たいして努力もしておらず、空回りしている「意識高い系」の人たち。彼らも、臆病な自尊心尊大な羞恥心を飼い太らせてしまったのかなと思う。「意識高い系」の人たちは、実力に見合わずプライドが高すぎる。

この『山月記』の高すぎるプライドとの折り合いというモチーフは、現代に通じるだけの普遍性があると思う。むしろ、SNSで承認欲求を満たすことが横行している現代でこそ読まれるべき作品ではないか。

『山月記』は色あせることのない古典作品だと思っている。あなたも虎になってしまっていないだろうか?

 

 

人生の全ての選択肢を選んだら / 『ミスター・ノーバディ』 ジャコ・ヴァン・ドルマル

 人生の全ての選択を選んだら

ミスター・ノーバディ [DVD]

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人生は選択の連続だ。身近な選択であれば、どの道を通るか、昼飯は何を食べるか。人生を左右するものであれば、何を学ぶか、どの就職先にするか、どこに住むか、誰と結婚するか、と選択から逃れることはできない。選択肢は多いけど、人生は一度しかない。だから、必ず何かの選択肢を選ばなければならない。全ての選択肢を選びそれから決めれたら…そんな叶いそうもない願いを実現させたのがこの『ミスター・ノーバディ』だ。『バタフライ・エフェクト』や『スライディング・ドア』、『ダイアナの選択』と同様に人生の選択をテーマにした重厚な映画だ。主人公のニモは様々に分岐した人生を語りだす。母親についていったら、父親についていったら、三人の女性から誰を選ぶか。普通の人には不可能であるすべての選択肢を選んだ複数形の人生が幻想的な美しい描写で描かれる。複数の人生が描かれるため、混乱すると思いきや、主人公の髪型や服装、映像の雰囲気でうまく作り分けられている。一体ニモはどの人生を選んだのか?逆にニモはすべての選択肢を選ばなかったのか?

 

 

映画を観るうちに自分も人生のあらゆる選択肢、可能性に思いをはせていることに気づく。そして、選択を後悔することなんて必要ないことに気付く。どの選択肢にも同等の価値があり、自分は今の選択肢を選び抜いた。選んだ選択には選ばれなかった選択の分の可能性の重さがあるのだ。

伊坂幸太郎とタランティーノ

伊坂幸太郎タランティーノ

 何故か、タランティーノの映画を観た後伊坂幸太郎の小説が読みたくなってしまう。タランティーノの映画で味わえる登場人物たちの饒舌で洒脱な会話に浸りたくなるからだろうか。伊坂幸太郎の小説も登場人物たちの洒脱で冗談に溢れた会話が魅力の一つだ。とあれこれ考えているうちに、他にも共通点があるんじゃないかと思い始めた。登場人物の洒脱な会話以外には、作品間のリンク、ポップカルチャーの引用、時系列を組み替えたり、秀逸な伏線をひいたりと構成が凝っているところなどなど。

 

 

作品間のリンク

重力ピエロ (新潮文庫)

重力ピエロ (新潮文庫)

 

 タランティーノの映画では、レッドアップルというタバコはよく出てくるアイテムだし、別作品の登場人物に隠された関係があるというのはお馴染みである。伊坂作品でも作品間のリンクがよく見られる(ほとんどの作品にある)。有名なのをあげると、『ラッシュライフ』の黒澤は『重力ピエロ』にも出てきている。

 
 

時系列シャッフル

パルプ・フィクション [DVD]

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 タランティーノ作品では、時系列のシャッフルが効果的に使われていて、構成が練られている。例を挙げると群像劇の『パルプ・フィクション』があり、最初と最後のシーンが繋がる構成は思わずはっとした。他にはデビュー作の『レザボア・ドックス』がある。伊坂幸太郎の小説も、ネタバレになるので作品名はあげられないけれど、時系列シャッフルが作品のカギとなっているものが多い。

 
 

個人的にタランティーノぽい雰囲気を感じる伊坂幸太郎の小説

作品ごとに見ていくと、陽気なギャングシリーズ(『陽気なギャングが地球を回す』、『陽気なギャングの日常と襲撃』、『陽気なギャングは三つ数えろ』)、『ラッシュライフ』、『マリアビートル』はタランティーノぽいって勝手に思っている。独断と偏見で勝手に思っている。
 
陽気なギャングが地球を回す (祥伝社文庫)

陽気なギャングが地球を回す (祥伝社文庫)

 

 『レザボア・ドッグス』と陽気なギャングシリーズは雰囲気が似ている。『レザボア・ドッグス』は、素性の分からない男たちが集まり、強盗をするも失敗していまい、裏切り者を探すというあらすじである。あらすじを見る限り、論理的に犯人を探しだすミステリーと思うのだが、実際は映画の大半が雑談に費やされている。陽気なギャングも、登場人物の饒舌な会話が魅力の小説である。とくに響野という登場人物はずっと喋っている。

あと、陽気なギャングシリーズでは主人公たちが背広で銀行強盗するのだが、これは『レザボア・ドッグス』のオマージュなんじゃないかなと思う。『レザボア・ドックス』でも背広で強盗に挑んでいる。背広姿でさっそうと登場するオープニングシーンが凄くセンスに溢れていてカッコいい。

 

 

 マリアビートルもレザボアと雰囲気が似ている気がする。『レザボア・ドックス』は密室劇で、『マリアビートル』も新幹線での密室劇だ。あと『マリアビートル』に登場する檸檬と蜜柑というキャラクターがとにかくおしゃべりで、それがタランティーノ映画を彷彿とさせる。

 

 

ラッシュライフ (新潮文庫)

ラッシュライフ (新潮文庫)

 

 構成的な面では、『ラッシュライフ』は『パルプ・フィクション』と似たものを感じる。両作とも巧みな構成の群像劇である。『ラッシュライフ』の冒頭では、ラッシュの辞書的意味を載せている。そして『パルプ・フィクション』のオープニングでもplupの辞書的意味を載せるシーンがあり、そのシーンがオマージュされているんだろうと思う。