日々の栞

本や映画について気ままに書く。理系の元書店員。村上春樹や純文学の考察や感想を書いていく

誰もが虹を待っている / 「虹を待つ人」 BUMP OF CHICKEN

虹を待つということ

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すっかりライブの定番曲として定着した「虹を待つ人」。「虹を待つ人」はアルバム『RAY』に収録されている楽曲で、バンドサウンドにシンセサイザーを合わせた今のBUMPを象徴する楽曲だ。そんな「虹を待つ人」の歌詞を文学作品と関連させて解釈していこうと思う。

 

不条理を取り扱っているように思える『RAY』

 『RAY』に収録されている曲は不条理を扱っているものが多いような気がしている。「firefly」はカミュの『シーシュポスの神話』を彷彿とさせる。頑張っても報われないことを受け止め、諦めることを肯定し、後押ししてくれる曲だ。カミュが言った不条理を受け入れ生きていくことに内容が近いのではないかと思う。「虹を待つ人」は『ゴドーを待ちながら』や『タタール人の砂漠』、『シルトの岸辺』、『夷狄を待ちながら』といった待つことの不条理を取り扱った文学作品を彷彿とさせる(俗称:待ちぼうけ小説)。

 

不条理ってなに

シーシュポスの神話 (新潮文庫)

シーシュポスの神話 (新潮文庫)

 

 

不条理って何と思う人も多いはず。不条理とは

フランスの作家カミュの評論『シーシュポスの神話』 (1942) によって有名になった哲学,文学上の概念で,この世の無意味,非合理と,この世を明晰に理解しようとする人間のやむなき欲求との対立関係から生れるとされる。 

 

不条理(ふじょうり)とは - コトバンク

 

ということで、人が人生の無意味さに気づいてしまうことに近い。BUMP的に言うと

頑張ってどうにかしようとして 頑張りの関係ない事態で ふと呼吸鼓動の 意味を考えた

 引用元:「firefly」 BUMP OF CHICKEN

という感じかな。

 

待つことの不条理

 

本当に来るか分からないものを待つことは、とても不条理な事だ。待っていても結局来ず、徒労になることもあるし、希望を抱いていても、実際にはその希望の光が差し込まないときもある。希望に裏切られてしまうことを分かりながらも、人は希望を信じられずにいられない。パンドラの箱の話のように。「虹を待つ人」は、あるのかないのか分からない希望を待つ、宙ぶらりんな不安定な状態に寄り添ってくれる曲だ。そして、自分を縛るものなんてないんだよ、自由なんだよということを教えてくれる。辛い暗闇の中でも、希望を捨てずに雨上がりの虹を待つことを鼓舞してくれる曲だ。誰しも不安や悲しみを抱えながら、虹を待っている。

おしゃれは突き詰めると人の内面に帰結する説

お洒落は内面から?

 

「無理して服を買わなくていい。それよりも勉強して内面を磨いた方がいい」これはある服屋の店員に僕が実際言われた言葉だ。まさか、服屋の店員に服を買わなくていいと言われる日が来るとは思わなかったけど、その店員の話は凄く印象に残っている。コムデギャルソンやモード系の話をその店員さんと話していたのだけれど、良い服を着るにはそれ相応の知識が必要だと教えてくれた。普通の服のことを知らないとコムデギャルソンの素晴らしさは分からないことや、おしゃれは結局内面や人間性に直結するということを教えてくれて、目からうろこだった。

 

ブランドの服を着るということ

その店員さんにあったのは2~3年前のことで、大学生になったばかりのころだったように思える。その話を聞いて以来、おしゃれとはなにかと時々考えるようになった。高校生の頃から服が好きで、コムデギャルソンやアンダーカバーのようなモード系の服を着たいとずっと思っていた。その頃はお金さえあれば高い服を買って、着ることが出来ると思っていた。けれども、本当の意味でブランド物の服を着こなすことは難しいことなんだと、大学生になってから思うようになった。ドメスティックブランドの服であれば、ブランドのデザインの特徴や、服のデザインへの造詣が必要になる。さらにラグジュアリーブランドであれば、そのブランドの歴史を背負うことになる。ラグジュアリーブランドであればきる側にもそれ相応の地位というか、人間的な魅力が必要になると思う。服の価値が、服を着る本人の価値を上回るときに、服に着られているというのだろう。それにドレスコードという決まりもある。個人的には、服のセンスというものは人それぞれで良し悪しはないと思うけれど、ドレスコードはみんなちゃんと守らなければならないと思う。結局おしゃれというものは突き詰めると内面というか、人間性に帰結するのではないかと思う。

 

着たい服が似合う自分になる

僕の将来の夢の一つは、コムデギャルソン、マルジェラ、バレンシアガの服が似合う大人になることだ。どのブランドもファッションの歴史を創り上げ、時には伝統を破壊し、ファッションを更新してきた偉大なブランドだ。そんなブランドの服を着るのにふさわしい存在感をもつ人に私はなりたい。着たら着たで、この服に自分はふさわしいのかと悩むんだろうな。そうならずに、胸を張って服を着こなせるようになりたい、いやなる。いつになることやら。

新しい戦争体験映画の誕生 / 『ダンケルク』 クリストファー・ノーラン

クリストファー・ノーラン監督が描くダンケルクの戦い

 

メメント』、『ダークナイト』、『インセプション』、『インターステラー』と次々に話題作を撮り続け、高い称賛を浴びている天才映画監督クリストファー・ノーラン。毎回話題になるノーラン監督の最新作は「ダンケルクの戦い」という実話を基にした、戦争映画、いや、戦争体験映画だ。どこまでも実写にこだわった圧倒的な映像は、観るものすべてを戦争の舞台に引きずり込む。この映画は絶対映画館で観るべき!そしてIMAXで観るべき!

 

ダンケルクの戦いとは

ダンケルクの戦いは、第二次世界大戦西部戦線における戦闘の一つで、ドイツ軍のフランス侵攻の1940年5月24日から6月4日の間に起こった戦闘である。追い詰められた英仏軍は、この戦闘でドイツ軍の攻勢を防ぎながら、輸送船の他に小型艇、駆逐艦、民間船などすべてを動員して、イギリス本国に向けて40万人の将兵を脱出させる作戦(ダイナモ作戦)を実行した。

ダンケルクの戦い - Wikipedia

日本人にはなじみの薄いダンケルクの戦いだが、イギリスでは有名な話で不屈の精神のことをダンケルク・スピリットというらしい。この『ダンケルク』で描かれるのは、ダンケルクに追い詰められた40万人がいかにして逃げて生き残るかである。戦争映画に見えるが、敵に立ち向かい戦うというのは空の空軍パートでしか描かれない。陸や海のパートでは、ひたすらに兵士たちが逃げる様子が描かれている。

 

 

ノーラン監督らしさ溢れる映画

ここらへんから内容に深く触れていくので注意!最初にダンケルクの戦いという実話を基に映画を作ると知った時は、ノーラン監督作品ではよく使われる時系列シャッフル(フォロウィングメメントプレステージ)やクロスカッティング(インセプションバットマンビギンズ)が使われたりすることはないのかなと思っていた。しかしこの『ダンケルク』では陸・海・空の出来事がそれぞれ一週間・一日・一時間のそれぞれ異なる時間軸で語られていく。三つの視点、三つの時間軸が上手くクロスカッティングされ、息をつく暇もなく、実際に戦場にいるかのような緊張感を味わうことになる。時計の針の音のBGMが効果的に使われていて、時間が限られているという切迫感が増してくる。この『ダンケルク』もこれまでのノーラン作品と同様に実写に拘って取られている。だから、映像のリアリティーというか迫力が段違いだ。戦争そのもの、つまり戦場にいるということはどういうことなのかを体験できる映画だ。まさに、ゴーグルなしのヴァーチャルリアリティ!

 

村上春樹が好きな人におすすめの作家

 

 日本の現代文学を代表する作家・村上春樹。巧みな比喩を多用した文体で孤独や喪失感を描き、『1Q84』や『ノルウェイの森』、『騎士団長殺し』など次々とベストセラーを生み出している。今の日本でここまで本を売り上げる作家って村上春樹ぐらいしかいないのではないのだろうか。さらには、世界各国で翻訳されて、世界中で読者を増やし続けている。

  僕も村上春樹が凄く好きで、長編は全て、短編もほとんど読んだと思う。村上春樹の小説をあらかた読み終えてしまうと、村上春樹以外で村上春樹っぽい文体や雰囲気の小説を読みたくなる時がある。ないですか?少なくとも僕にはあります。ということで、独断と偏見で村上春樹が好きな人が好きそうな作家、村上春樹っぽい作家を上げてみた。

 

 

本多孝好

最初に紹介するのは、村上春樹に影響を受けた村上春樹チルドレンの一人とよく言われている本多孝好。透明感溢れる文章にミステリーを組み合わせているのが特徴。文体や比喩、モチーフに至るまで村上春樹の影響が見られる。例えば『真夜中の五分前』では双子が出てくるが、これは村上春樹の『1973年のピンボール』を彷彿とさせる。この小説は恋愛の喪失と再生をミステリーと絡めた新感覚の恋愛小説だ。映画化された作品も多い。おすすめは『真夜中の五分前』。

 

 

大崎善生

こちらも村上春樹チルドレンの代表格と言える作家・大崎善生。小説だけではなくて、『将棋の子』といったドキュメンタリーでも有名(ドキュメンタリーの方が有名かな)。喪失感や喪失からの再生を、透明感溢れる文体で感傷的に描いているのが特徴。村上春樹の文体が好きな人ならきっと好きになると思う。

大崎善生は恋愛小説の名手で、村上春樹で言うところの『ノルウェイの森』や『スプートニクの恋人』のような恋愛の喪失を描いた恋愛小説を書いている。文章の感じといい、感傷的に喪失感を描いている点といい、凄く村上春樹に影響を受けていることが感じられる。おすすめは『パイロットフィッシュ』と、『九月の四分の一』という短編集。

 

 

新海誠

『秒速5センチメートル』や『言の葉の庭』、『君の名は。』で知られる映画監督の新海誠。実は映画のノベライズも自ら手掛けている。雑誌のインタビューでもたびたび村上春樹に影響を受けたと語っているように、文章が凄く村上春樹っぽい。

『秒速5センチメートル』は、新海誠版ノルウェイの森といえるぐらい村上春樹の影響を感じられる。この『秒速5センチメートル』では過去の恋愛を引きずり、感傷に浸る自分に陶酔している姿を、叙情的な映像と村上春樹的なモノローグで極限まで美しく描いている。『君の名は。』も『ノルウェイの森』の台詞が引用されていたりと、影響が感じられる。また、映画では描かれていなかった部分が補完されているので、映画と合わせて読むのがおすすめ。特に『秒速5センチメートル』がおすすめ。

 

 

衛慧

藤井省三は、中国の著名な女性作家たち、衛慧安妮宝貝王家衛らが「村上チルドレン」であると評している 

引用元:春樹チルドレン - Wikipedia

 次は中国の作家。やっぱり村上春樹って海外文学への影響も大きいんだなと。代表作の『上海ベイビー』は、大胆な性描写で話題になり、中国では発禁となったそう。日本でも翻訳されているけれど、絶版になっている模様。古本で探すしかないかな。

 

 

佐藤正午

『月の満ち欠け』で直木賞を受賞し、注目を集める佐藤正午。知る人ぞ知る作家みたいな趣がある。雰囲気が村上春樹に似ているとよく言われている。村上春樹の文体を薄めた感じ。この作家は恋愛小説をミステリーやSFと絡めていて、佐藤正午にしか描けない小説世界を構築している。

また佐藤正午の小説には、村上春樹の小説によく見られる恋人・妻の失踪がモチーフに使われていたりする。例としては『ジャンプ』がある。『ジャンプ』は恋人の失踪を基に、過去の選択や、女性の意志を描いている。佐藤正午のおすすめは全部といっても過言ではない。特に上げるなら『ジャンプ』と『Y』、『鳩の撃退法』、『女について』、『取り扱い注意』がおすすめ。

 

 

伊坂幸太郎

鮮やかな伏線回収、魅力的なキャラクター、洒脱な会話で人気を集めている伊坂幸太郎。この伊坂幸太郎も文章が村上春樹ぽいとよく言われている。洒脱な比喩や会話の部分が確かに似ているなと。おすすめは『ラッシュライフ』『全部残りバケーション』『砂漠』。

 

 

佐藤友哉

知名度がどのくらいあるか分からないけど、個人的にすごく好きな作家・佐藤友哉。メフィスト賞を受賞して、今ではミステリーだけではなく純文学のフィールドでも活躍している。ミステリーだけでなく鬱屈した青春小説の側面もある『フリッカー式鏡公彦にうってつけの殺人』などの鏡家サーガや、三島由紀夫賞を最年少で受賞した『1000の小説とバックベアード』が代表作。

特に『1000の小説とバックベアード』はタイトルからして村上春樹の『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』を彷彿とさせる。おすすめはやっぱり鏡家サーガと『1000の小説とバックベアード』。

 

 

加藤秀行

最近デビューした作家だと加藤秀行がオススメだ。加藤秀之は、2015年に「サバイブ」で第120回文學界新人賞を受賞しデビューしている。このデビュー作の『サバイブ』の文体に村上春樹の影響が感じられた。加藤秀行は最近プッシュされているみたいで、「シェア」で第154回芥川賞候補、「キャピタル」で第156回芥川賞候補作となっており、期待の新人だ。

特に『キャピタル』は村上春樹の影響が強いと感じる。物語構造が『羊をめぐる冒険』を踏襲していて、文体も村上春樹により近づいているような印象を受けた。この点に関しては多くの評論家が指摘している。おすすめは『キャピタル』。

 

 

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BUMP OF CHICKENのグッズがヴェトモン・バレンシアガっぽい件について

PATHFINDERがスタート!

www.excite.co.jp

ついにBUMP OF CHICKEN TOUR PATHFINDERがスタート!一年ぶりのBUMPのライブと合ってかなり楽しみ。アンサーやリボンを生で聞いてみたい!BUMPのライブのことを考えるとワクワクが止まらないのですが、ライブ以外にも今回は楽しみが!それはライブグッズ。なぜかというと、今回のライブグッズはなんだかヴェトモン・バレンシアガぽいからだ。研究室に拘束され、アルバイトが出来ず、高い服が買えない服オタ貧乏大学生(私)にとっては嬉しい事態。

 

ヴェトモン・バレンシアガってどんなブランド?


Vetements FW17 Paris collection

 

今ファッション界を席巻しているヴェトモン・バレンシアガ。共通点は二つのブランド両方にデザイナー:デムナ・ヴァザリアが関わっていることだ。バレンシアガはそこそこ有名なブランドなので服オタじゃなくても知っている人は多いと思うが、ヴェトモンは知らない人の方が多いんじゃないかなと思う。ヴェトモンとは、フランス語で服を意味するブランドで、今最も勢いがあるブランドといっても過言ではない。極端なビッグシルエットや袖の長いスウェットパーカーでファッションシーンを塗り替えてきた。一方、バレンシアガはクリストバル・バレンシアガが創業した歴史あるラグジュアリーブランドである。一時期低迷していたけれども、二コラ・ジェスキエールというデザイナーが見事にバレンシアガを再興してみせた。そして、ヴェトモンのデザイナーであるデムナ・ヴァザリアが、バレンシアガの新アーティスティックディレクターに抜擢された。バレンシアガのロゴキャップ、スピードトレーナーやイケア風のバッグなど斬新なアイテムは世界中のファッション感度が高い人を引き付けてやまない。バレンシアガは黄金期を迎えているといえるんじゃないかな。

実際にグッズを見てみる

www.bumpofchicken.com 

このパーカーとコーチジャケットは袖のデザインがヴェトモンぽい。

 

www.bumpofchicken.comこ

このキャップは完全にバレンシアガですわ。フォントの感じも凄く似ている。

 

BUMPメンバーが良く着てる

 

チャマが特に愛用している様子。ツアーのグッズは主にチャマが担当しているから、デザインもバレンシアガ・ヴェトモンに寄っているのかな。ヴェトモンは日本で買えるルートが限られている上に高いので、今回のBUMPのライブグッズでヴェトモン風のデザインが楽しめるのは一石二鳥!コーチジャケットとパーカーは買いたい!あとTシャツも!物欲が止まらない。とにかくBUMPのライブが楽しみなのである。

死に憑りつかれた者たち / 『MISSING』 本多 孝好

死の香りが漂う短編集

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この『MISSING』を読んでいると、真夜中の学校のプールが思い浮かぶ。どこか寂しげな透明感があり、死の香りが漂っている雰囲気。

収録されている5編全部が死と関係している。死に憑りつかれたもの、死に向き合い自分が生きた証を残そうとするもの、暗い感情に憑りつかれたもの。決して明るい話ではないのだけれども、なぜか悲壮感が漂うこともなく、むしろ透明感に満ちている。これは村上春樹を彷彿とさせるような洒脱な文体によるものじゃないかなと思う。本多孝好は村上春樹に影響を受けた村上春樹チルドレンと呼ばれていて、確かにと思うほど文体的には影響を受けているように思えた。主人公の会話のユーモアさはまさに村上春樹だなと。収録作品は「眠りの海」、「祈灯」、「蝉の証」、「瑠璃」、「彼の棲む場所」。特に「眠りの海」、「蝉の証」、「瑠璃」が良かったので主にそれについて書こううかなと。以下内容に触れるので注意!

 

彼女の深意は?「眠りの海」

小説推理新人賞を受賞した短編。彼女を交通事故で亡くした主人公が自殺に失敗したところから始まる。恋人と過ごした日々を回想しているうちに、交通事故の真実に気付いていく。二人の気持ちが重ならないことの切なさ、人を愛することの複雑さがミステリーと絡めて描かれた秀作。最後にちょっとしたどんでん返しがある。

 

自分が生きた証 「蝉の証」

この短編集で一番印象に残った作品。人は自分が生きた証を残したいから、芸術作品や偉業を成し遂げたりしようとするのだろうか。「蝉の証」は死を目前にして、生きた証を残すことに憑りつかれた老人の話である。

 

「蝉があんなにうるさい声で鳴くのはきっと、一夏しか生きられないからなんだね」

 

劇中のこの一節が凄く心に響く。この作品で扱われたテーマは『MOMENT』『真夜中の5分前』などにひきつがれているかなとも思った。

 

 

感受性が損なわれていくことの悲しさ 「瑠璃」

限定されたある特別な時期にしか持つことを許されない感受性がある。自分がその感受性をすでに失ってしまったことに気づいてしまうことは本当に哀しい。「瑠璃」は二度と戻ることのないもの、決して戻ることのできない時期を失ってしまうことに上手く順応できなかった「女の子」についての話。失われていく様子は物悲しくもあり、美しくもあった。

 

 

人はみな孤独な旅人 / 『スプートニクの恋人』 村上 春樹

恋愛の痛みと不条理さを描いた『スプートニクの恋人

 

 22歳の春にすみれは生まれて初めて恋に落ちた。広大な平原をまっすぐ突き進む竜巻のような激しい恋だった。それは行く手のかたちあるものを残らずなぎ倒 し、片端から空に巻き上げ、理不尽に引きちぎり、完膚なきまでに叩きつぶした。そして勢いをひとつまみもゆるめることなく大洋を吹きわたり、アンコール ワットを無慈悲に崩し、インドの森を気の毒な一群の虎ごと熱で焼きつくし、ペルシャの砂漠の砂嵐となってどこかのエキゾチックな城塞都市をまるごとひとつ 砂に埋もれさせてしまった。みごとに記念碑的な恋だった。

 

 印象的な恋の比喩で始まる『スプートニクの恋人』。この冒頭が示すように、『スプートニクの恋人』は全編比喩が過剰に使われた、かなりリリカルな小説である。一般的に比喩表現が多い村上春樹作品だけど、特に『スプートニクの恋人』は比喩表現が多い。村上春樹の長編小説は一通り読んだけれど、スプートニクの恋人の文体が一番リリカルじゃないかなと思う。しかも、その一つ一つがお洒落で秀逸すぎる。特に冒頭の比喩には痺れた。感傷的な恋愛小説にはリリカルな文体がよく似合う。
スプートニクという言葉は旅の同伴者と孤独な衛星を表す。スプートニクの恋人というタイトルが表すのは、人は究極的には孤独であるということなのかもしれない。スプートニクは旅の同伴者と同時に、孤独な衛星、分かり会えない孤独な人々を意味している。スプートニクの恋人ビートニクスプートニクと間違えた事に由来している。ビートニクを代表する作家・ジャック・ケルアックの作品に「孤独な旅人」というのがある。この繋がりに気付いたとき鳥肌がたった。人はどこにも行けない状況であろうとも、自分が損なわれようとも、それを抱えて生きなけばならない。喪失と孤独にどう向き合うか。この小説の一部分は短編小説の『人食い猫』からきている。

スプートニクの恋人ノルウェイの森 

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)

 

 

この『スプートニクの恋人』で重要な要素として、にんじんの存在がある。にんじんは『あちら側』の世界に片足を突っ込んでいる主人公をこちら側に繋ぎとめる役割を果たしている。『ノルウェイの森』でいう緑のような存在だ。最後の電話のシーンは『ノルウェイの森』を彷彿とさせる。『スプートニクの恋人』は『ノルウェイの森』の一つの変奏と言えると僕は思っている。
 
スプートニクの恋人 (講談社文庫)

スプートニクの恋人 (講談社文庫)

 

 

 

めくらやなぎと眠る女

めくらやなぎと眠る女